初の投稿になります。
たまに掲示板に008で書き込んでおりました、おばちゃんと申します。
今回はつたない文章ですがお付き合いの程よろしくお願いします。
最初漫画家さんはアイドルのごとく雲の上の人だと思っており、住む世界も別だと思っていました。
新宿で開催された「望月三起也のすべて」の時に初めて有名人、しかも望月先生にお会いし、写真も撮ってもらい楽しい時間をすごさせていただきました。
それから何年か後・・・自分が働いている近くに、誰彼かまわず話しかける、話し好きのおじちゃんと出会う機会がありました。
そのおじちゃんはマンガ好きと来たので、年齢的にも知っているかな?と思い質問してみました。
「ワイルド7ってマンガ知ってます?望月三起也とカエルぷろのアシスタント集団が書いていまして・・・。」
「えぇ!?あぁ、そうなの・・・知ってるよ。」
「おっ?知ってますか!?ワイルド7かっこいいですよね!!飛葉ちゃんがね~」
なんていっていると、「俺、昔カエルぷろにいた事あって、漫画家なんだよ」
突然そんなふりをもらい「???」になりました。
きっとからかわれているんだろうと思い、ペンネームを聞きましたが教えてくれませんでした。
しかし、実名はわかったのでそこから家に帰りひたすらネットサーフィンなわけです。
しかしペンネームもわからない状態で検索しても見つかるわけがなくまた別の日に会った時にヒントをもらいました。
「“はらたいら”みたいなもんだ」と・・・。
そこであたりをつけた名前が「ばらさかき」さんです。
<<参考>>
一二の三助、エマニエルくん、ナンセンス劇場等や小柳るみ子物語、山口百恵物語、天地真理物語、森正子物語、桜田順子物語などを執筆
それで引っかけた時に出てきたのが、たしか自分が人生のバイブルとしていたTakumiさんのHP「ワイルド7フォーエバー」だったのです。
その中に、ばらさかきさん(以下ばらさん)の話題に触れた書き込みがありました。
そして、しばらくして、実際に元カエルぷろメンバーの、小針さんにも会わせていただきました。
小針さんは気さくな方で、いろんな話をしてくれました。持って行ったマンガのコピーを見て「この線は中村が描いたやつだ、こっちのカーテンの模様はおれだなぁ。この線は・・・」など線の肉厚や模様などで分かってしまうすごさでした。
(追伸:アスカさんによろしくだそうです)
元カエルぷろの皆様にいろんな話を聞かせてもらいました。(以下抜粋)
・昔の望月家は、望月先生の父の増築で忍者屋敷と化していた。
・先生の弟さんのカヲルさんはお酒が好きで、ばらさんは飲めないので
よく運転手として出かけていたため、二人は兄弟だと思われていた。
・土山先生の結婚式の引き出物は自分のマンガだった!!
・タベ、ばら、小針、クマで大分へ行き車で3回転して死にかける。
・赤塚不二夫先生主宰のボーリング大会で望月一派が上位を独占してしまい
大会に誘われなくなってしまったこと。
など、もっとありますが、覚えきれていません。すみません。
その後、「ワイルド7R」が始まる時には、田辺先生も久しぶりに望月先生のお手伝いをするらしく(カエルぷろに復活!!)、そこで初めて田辺先生にも会わせていただきました。
2度目に田辺先生会った時に原画を頂いたのが自分が前日に読んでいた「超時空DDH」のクライマックスシーンでした!!
驚きと恐縮でいっぱいです!!
Rで飛葉の乗るバイク(ヤマハの逆輸入版のXV1900CV)を調べてほしいとの事で、ネットで画像を落とし巻くったお礼に自分のヘルメット(なんちゃってワイルド仕様)に望月先生のサインを頂いてもらいました。
この時はカエルぷろの一員になれた気がしました。
雲の上で書いている人と思いきや資料集めや苦労話を聞いて同じ人間が苦労をして描いている。
今後はコマ1コマのコマ間をイメージし、じっくり読もうと思います。
田辺先生の仕事場にお邪魔させてもらった時の話では、「僕の結婚式の記念に、望月先生の人形(手作り女性フィギュア)頂戴と言って、いいとの返事をもらっていたのに、今までお互い忘れていた。」とのことでした。
お二人ともおおらかなこってす。
平凡なサラリーマンの自分がいきなりこんなにすんばらしい経験が出来たのは、ばらさかきさまさまです。
今はお互い仕事が変わり、会うことがめっきり少なくなりましたが、これからもよろしくお願いします。
PS、そしてまた眠れる獅子?がまたマンガを描いております。
望月先生監修が入って何度も書き直していますが、いつか実ると信じております。
その折は皆様よろしくお願いいたします。
=============================================
「月刊望月三起也」では皆様からの投稿をお待ちしています。
「望月マニ也」「作品紹介」のほか書式や内容は自由!
投稿が採用され「月刊望月三起也」に掲載された方には
記念品として、特製クリアファイル(2枚セット)
をプレゼント!
是非、月刊望月三起也事務局までメールを送ってください。
お待ちしております。
info@wild7.jp
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たまに掲示板に008で書き込んでおりました、おばちゃんと申します。
今回はつたない文章ですがお付き合いの程よろしくお願いします。
最初漫画家さんはアイドルのごとく雲の上の人だと思っており、住む世界も別だと思っていました。
新宿で開催された「望月三起也のすべて」の時に初めて有名人、しかも望月先生にお会いし、写真も撮ってもらい楽しい時間をすごさせていただきました。
それから何年か後・・・自分が働いている近くに、誰彼かまわず話しかける、話し好きのおじちゃんと出会う機会がありました。
そのおじちゃんはマンガ好きと来たので、年齢的にも知っているかな?と思い質問してみました。
「ワイルド7ってマンガ知ってます?望月三起也とカエルぷろのアシスタント集団が書いていまして・・・。」
「えぇ!?あぁ、そうなの・・・知ってるよ。」
「おっ?知ってますか!?ワイルド7かっこいいですよね!!飛葉ちゃんがね~」
なんていっていると、「俺、昔カエルぷろにいた事あって、漫画家なんだよ」
突然そんなふりをもらい「???」になりました。
きっとからかわれているんだろうと思い、ペンネームを聞きましたが教えてくれませんでした。
しかし、実名はわかったのでそこから家に帰りひたすらネットサーフィンなわけです。
しかしペンネームもわからない状態で検索しても見つかるわけがなくまた別の日に会った時にヒントをもらいました。
「“はらたいら”みたいなもんだ」と・・・。
そこであたりをつけた名前が「ばらさかき」さんです。
<<参考>>
一二の三助、エマニエルくん、ナンセンス劇場等や小柳るみ子物語、山口百恵物語、天地真理物語、森正子物語、桜田順子物語などを執筆
それで引っかけた時に出てきたのが、たしか自分が人生のバイブルとしていたTakumiさんのHP「ワイルド7フォーエバー」だったのです。
その中に、ばらさかきさん(以下ばらさん)の話題に触れた書き込みがありました。
そして、しばらくして、実際に元カエルぷろメンバーの、小針さんにも会わせていただきました。
小針さんは気さくな方で、いろんな話をしてくれました。持って行ったマンガのコピーを見て「この線は中村が描いたやつだ、こっちのカーテンの模様はおれだなぁ。この線は・・・」など線の肉厚や模様などで分かってしまうすごさでした。
(追伸:アスカさんによろしくだそうです)
元カエルぷろの皆様にいろんな話を聞かせてもらいました。(以下抜粋)
・昔の望月家は、望月先生の父の増築で忍者屋敷と化していた。
・先生の弟さんのカヲルさんはお酒が好きで、ばらさんは飲めないので
よく運転手として出かけていたため、二人は兄弟だと思われていた。
・土山先生の結婚式の引き出物は自分のマンガだった!!
・タベ、ばら、小針、クマで大分へ行き車で3回転して死にかける。
・赤塚不二夫先生主宰のボーリング大会で望月一派が上位を独占してしまい
大会に誘われなくなってしまったこと。
など、もっとありますが、覚えきれていません。すみません。
その後、「ワイルド7R」が始まる時には、田辺先生も久しぶりに望月先生のお手伝いをするらしく(カエルぷろに復活!!)、そこで初めて田辺先生にも会わせていただきました。
2度目に田辺先生会った時に原画を頂いたのが自分が前日に読んでいた「超時空DDH」のクライマックスシーンでした!!
驚きと恐縮でいっぱいです!!
Rで飛葉の乗るバイク(ヤマハの逆輸入版のXV1900CV)を調べてほしいとの事で、ネットで画像を落とし巻くったお礼に自分のヘルメット(なんちゃってワイルド仕様)に望月先生のサインを頂いてもらいました。
この時はカエルぷろの一員になれた気がしました。
雲の上で書いている人と思いきや資料集めや苦労話を聞いて同じ人間が苦労をして描いている。
今後はコマ1コマのコマ間をイメージし、じっくり読もうと思います。
田辺先生の仕事場にお邪魔させてもらった時の話では、「僕の結婚式の記念に、望月先生の人形(手作り女性フィギュア)頂戴と言って、いいとの返事をもらっていたのに、今までお互い忘れていた。」とのことでした。
お二人ともおおらかなこってす。
平凡なサラリーマンの自分がいきなりこんなにすんばらしい経験が出来たのは、ばらさかきさまさまです。
今はお互い仕事が変わり、会うことがめっきり少なくなりましたが、これからもよろしくお願いします。
PS、そしてまた眠れる獅子?がまたマンガを描いております。
望月先生監修が入って何度も書き直していますが、いつか実ると信じております。
その折は皆様よろしくお願いいたします。
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「月刊望月三起也」では皆様からの投稿をお待ちしています。
「望月マニ也」「作品紹介」のほか書式や内容は自由!
投稿が採用され「月刊望月三起也」に掲載された方には
記念品として、特製クリアファイル(2枚セット)
をプレゼント!
是非、月刊望月三起也事務局までメールを送ってください。
お待ちしております。
info@wild7.jp
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おばちゃん さんのプロフィール
【望月三起也先生より】
何とも世の中不思議な縁があるもので、Aという人とBという人の出会いでCという人と意外な接点があった。
私の場合、サッカー一緒にやってます10年来仲間のAくん、あるとき会話の中でBさんの話が。Aくん、小学校時代のサッカースクールのコーチがなんとBさん。そのBさんと私は彼がコーチをやる20年も以前からの仲良しだったのですよ。判らないもんですぇ。
おばちゃんの場合、私とは新宿でのイベントで出会っていて、その後同じ職場の友達が私との接点持ってたって意外性。ドラマ作りするとき、こういう設定はイージー過ぎて練りの足りないストーリーってことになりますが、現実にはあるんですねぇ。
はい、その『ばら』ですが、未だに私の運転手をやってくれています。彼はクルマ好きで運転は上手。しかし方向オンチって欠点があり、天は二物を与えてないンですねぇ。
特にここ2年、腰痛に悩まされている私、東京、川崎とマッサージから病院などと移動に役立ってくれてる。「頼む」と一言いうと「いいよ」と軽く返事、なんともいい男です。
でも、かれはウチの弟子かな?
そもそも彼がウチの近くの高校へ通ってたころ、我が家を訪れいつの間にやら弟たちと親しくなり、学校を卒業後、作画手伝いにアトリエへ出入りするのですがそれは『一応』で、何度も外出を繰返す腰の座らなさ。ジッと集中するのは苦手だからってアトリエから消えてはパチンコやったりして帰って来る。が、悪気もなくケロッとしてるから怒るに怒れない。とにかくマイペース。そんなだから他の弟子たちと違ってなんか居候扱い。弟たちやタベ(田辺節雄)など当時のアトリエメンバー等と仲がいい。仕事以外の遊びの面で存在感を示していたという誠に変な奴。
そのうち自分の“絵”を描くといって、ウチへはたまに顔を出す程度の付き合いに変わって今に至る・・・・
なんとも不思議な奴なんです。
本人、絵を描くことは好きなもので、相変わらずデッサン、コマ割りの状態で描いては持って来る。チェックするとペン入れ出来たところで又持って来る。
絵(漫画)が好きなんですね。
といって、『プロ』というほど気を入れて取り組むわけじゃない、つまるところ「腰が座らない」という感じは変わらない。その代わり身が軽い。体重も軽いが腰の座らない分、運転席にはスッポリと腰が嵌るようで、私の取材にも嫌がらず、気軽に付き合ってくれる。
私が助手席からカメラ片手に「そこで停めて!」「もっとゆっくり!」「戻って!」・・・・・ 注文にも嫌がらず応じる。
最近の取材では、『W7』のラストの高速道路シーン、彼がそういう助っ人してくれたシーンです。
そう、イベントでの『バス旅行』、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校及び予科練平和記念館 雄翔館・雄翔園の見学会をやったときに彼は参加してましたから何人かの人は、「ああ、あの人・・・・」と、思い当たるかもね。 これを書いてくれたおばちゃんに誘われて参加したって言ってましたっけ。まこと、個性あるキャラクターなんです。
おばちゃん、これからも仲良くしてやって!!
何とも世の中不思議な縁があるもので、Aという人とBという人の出会いでCという人と意外な接点があった。
私の場合、サッカー一緒にやってます10年来仲間のAくん、あるとき会話の中でBさんの話が。Aくん、小学校時代のサッカースクールのコーチがなんとBさん。そのBさんと私は彼がコーチをやる20年も以前からの仲良しだったのですよ。判らないもんですぇ。
おばちゃんの場合、私とは新宿でのイベントで出会っていて、その後同じ職場の友達が私との接点持ってたって意外性。ドラマ作りするとき、こういう設定はイージー過ぎて練りの足りないストーリーってことになりますが、現実にはあるんですねぇ。
はい、その『ばら』ですが、未だに私の運転手をやってくれています。彼はクルマ好きで運転は上手。しかし方向オンチって欠点があり、天は二物を与えてないンですねぇ。
特にここ2年、腰痛に悩まされている私、東京、川崎とマッサージから病院などと移動に役立ってくれてる。「頼む」と一言いうと「いいよ」と軽く返事、なんともいい男です。
でも、かれはウチの弟子かな?
そもそも彼がウチの近くの高校へ通ってたころ、我が家を訪れいつの間にやら弟たちと親しくなり、学校を卒業後、作画手伝いにアトリエへ出入りするのですがそれは『一応』で、何度も外出を繰返す腰の座らなさ。ジッと集中するのは苦手だからってアトリエから消えてはパチンコやったりして帰って来る。が、悪気もなくケロッとしてるから怒るに怒れない。とにかくマイペース。そんなだから他の弟子たちと違ってなんか居候扱い。弟たちやタベ(田辺節雄)など当時のアトリエメンバー等と仲がいい。仕事以外の遊びの面で存在感を示していたという誠に変な奴。
そのうち自分の“絵”を描くといって、ウチへはたまに顔を出す程度の付き合いに変わって今に至る・・・・
なんとも不思議な奴なんです。
本人、絵を描くことは好きなもので、相変わらずデッサン、コマ割りの状態で描いては持って来る。チェックするとペン入れ出来たところで又持って来る。
絵(漫画)が好きなんですね。
といって、『プロ』というほど気を入れて取り組むわけじゃない、つまるところ「腰が座らない」という感じは変わらない。その代わり身が軽い。体重も軽いが腰の座らない分、運転席にはスッポリと腰が嵌るようで、私の取材にも嫌がらず、気軽に付き合ってくれる。
私が助手席からカメラ片手に「そこで停めて!」「もっとゆっくり!」「戻って!」・・・・・ 注文にも嫌がらず応じる。
最近の取材では、『W7』のラストの高速道路シーン、彼がそういう助っ人してくれたシーンです。
そう、イベントでの『バス旅行』、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校及び予科練平和記念館 雄翔館・雄翔園の見学会をやったときに彼は参加してましたから何人かの人は、「ああ、あの人・・・・」と、思い当たるかもね。 これを書いてくれたおばちゃんに誘われて参加したって言ってましたっけ。まこと、個性あるキャラクターなんです。
おばちゃん、これからも仲良くしてやって!!
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2015/02/08 at 9:38 PM
先生からのコメントをいただけるとは夢のようです。
これに味をしめさせていただきます。
それから記事を読んだ田辺先生から連絡ありまして、
・タベ、ばら、小針、クマで大分へ行き車で3回転して死にかける。・・は
・タベ、ばら、難波、タカモチゲンの4人で3回転して死にかけるでした。
こちらに訂正させていただきます。
2015/02/10 at 9:56 PM
難波さん=たかもちげん氏でした。
・タベ、ばら、難波の3人で大分へ行き車で3回転して死にかける!でファイルアンサー!!です。
いい加減ですみません。