最近の漫画はなんか小奇麗なのが多い。
細い丸ペンで描いたようなシャープな線にイラストのような絵。コマひとつ取ってもカラー挿絵になりそうな感じ。
そういうのは確かに素晴らしい。見惚れるようなこともあるし、漫画が芸術だとか言える気がする。
でも、なんか違う、漫画ってそうじゃないだろう、と思うこともある。
例えば、綺麗なだけで、ストーリーがまるで頭に入ってこない漫画。
例えば、可愛い女の子の立ち絵ばっかり気合の入っている漫画。
そう、なんだか『漫画』としての面白さが、かっぽりと抜け落ちているような漫画が増えちゃいないでしょうか。
『漫画力』
かの、島本和彦先生(だったよな?)が言うところの『漫画力』の欠如である。
線の力、絵の力、構図の力、コマ割りの力、台詞の力、物語の力――これらを総じて『漫画力』と称する。
前置きが長くなりましたが、その『漫画力』に溢れていると思うわけですよ、『ワイルド7』は。
Gペンの強弱の激しい線に真っ黒なベタ、スクリーントーンなどほとんど使わない荒々しい画面。かと思えば、背景やバイクはあくまで精緻で、細かなところまで気の配った描き込み振り。
構図やコマ割りの映画的表現も特徴のひとつに数えられるが、構図だけでなくストップモーションや部分アップなどが大胆なコマ割りで表現されており、読者をぐいぐいと引っ張る魅力に満ちている。
銃火器やバイクの魅力が多く語られるワイルドだけど、漫画としての完成度が素晴らしく高い。
私は実は、銃やバイクはあまり詳しくはないので、そのへんの魅力を語ることが出来ないというのが真実ではあるんですが。
ワイルド素人の妄言ということで、笑って駄文をご容赦ください。
漫画の魅力とはなんだろうか?
まずひとつとして挙げられるのが、キャラクターの魅力だろう。
ワイルド7において、これは言わずもがな。
「悪党をもって悪党を制す!」と集められた荒くれ者7人。(必ずしも7人ではないが)
多人数系のヒーロー物といえば石ノ森の009のような作品があり、ひとりひとりに特殊な能力を付加してキャラ立ちをさせる手法は、ワンピースのような成功例を見ても分かるとおり。今はこれが溢れすぎていてすでに食傷気味なほど。
しかるに、ワイルド7はキャラひとりひとりの個性を掘り下げるのに、必ずしも『能力』を強調してはいない。
両国の『火薬に長ける』も、八百の『催眠術』も、もちろん物語を進める上で重要なものではあるが、必ずしもキャラ立ちのためには使われていない。
むしろ、キャラとしての深みを増しているのは、飛葉ちゃんの人情にあついところとか、ヘボピーの思想くささ、オヤブンの任侠、両国のマスコット的な立ち位置だろう。八百も催眠術使いとしてよりも、女への純情こそ魅力を掘り下げる核となっている。『首にロープ』で店員の女の子を誘うためガソリンスタンドに通い詰める八百のエピソードはかなり好きだ。
キャラクターみなが人間くさく、描かれない部分にも多くの物語を感じさせる。
ヒロインと言ってよいユキも、最初は敵として現れその後仲間となったが、なかなかレギュラーにはならずおミソ扱いが続いていた。ワイルドの仲間は完成度が高く、それだけ入れ替えは難しいと言うことだろう。メインの飛葉、両国、ヘボピー、オヤブン、八百の5人は揺ぎ無い。(個人的には、世界とか凄く好きだったが早期退場で残念)ようやく、ユキがメインで活躍したのが『朝食に死を』。だいぶ後期だ。この物語でのユキは飛葉ちゃんなみの頭の良さを見せた。だがいまいち詰めが甘い。飛葉ちゃんの「バーカ、その程度で得意になるな!!」の台詞が、二人の兄妹のような関係を表しているようで面白い。
最近は、キャラクター造形がテンプレート的な漫画が多く、同じような個性、同じようなエピソードを繰り返し見させられる。それだけ漫画表現手法が研究され、類型化してきたということなのだろう。皆が優れた作品から学び、様式的な面白さを求めるのはやむを得ないが、そのなかからでもなんとか新しいものを模索して欲しいものだ。
まだそんな『型』が存在しなかった時代に生まれたワイルド7は、類型に当てはまらないキャラクターの宝庫と言える。それは脇役、敵役にも言えることで、『地獄の神話』の菊川とかも惚れ惚れするくらいの犬っぷりが素晴らしい。
そしてふたつめ、物語の魅力についても語りたい。
ワイルド7は、小説分野で言うならばなんだろうか。あえて誤解を承知で答えるならば私はミステリだと思う。
ミステリは、広義に冒険小説やサスペンス、はては時代小説やSFまでも包含する節操のなさだが、定義のひとつとして『魅力的な謎が提示され、それを解決するまでの物語』があげられる。
ゆえに、ワイルド7はミステリであり、さらに細分化するならば冒険小説のカテゴリーに入るだろう。
冒険小説は、私立探偵もの、スパイもの、戦争ものなどがあげられる。海外では、ジャック・ヒギンズやル・カレ、ギャビン・ライアル、日本なら船戸与一、逢坂剛などだろうか。『事件』を背景とし、ときとして社会性も色濃く現れ、それに関わる人々(兵士、探偵、スパイなど)の壮大かつ複雑な物語が主である。その性質上、アクション的要素がふんだんに盛り込まれることが多い。
ワイルド7には、そういった冒険小説の魅力が多く詰め込まれている。
『爆破105』などがとくに色濃い。
飛行機事故から始まって、ワイルド、米軍、生き残った乗客たちのそれぞれのドラマが語られる。ひとつ判断を過てば死の状況。この緊張感はどうだろう。まったく先の読めない展開にページを繰る手が止まらない。まさに冒険ものの醍醐味である。
ワイルドの物語では、望月先生の趣味だろうか、バイクに次いで航空機が重要な位置を占める物語が多く存在する。ハイジャック(『誘拐の掟』)や飛行機事故(『爆破105』)、空中戦(『地獄の神話』)などなど。これらを読んでいると、冒険小説の名作、『シャドー81』(ルシアン・ネイハム)や『黄色い蜃気楼』(船戸与一)を思い出さずにいられない。
さらに、かなり本格ミステリ色の濃い作品も存在する。
『黄金の新幹線』は社会派の様相を呈しながらも謎の解明に論理性が重要視されており、論理ミステリといって良いだろう。『首にロープ』の遺産相続というテーマも、ミステリマニアに嬉しい。
余談だが、このふたつのラストのカッコ良さは特筆ものである。
ワイルドが連載されていた70年代といえば、推理小説は社会派全盛ながらも、角川によって横溝作品が映画化された時代でもある。『犬神家の一族』(横溝正史)が1976年、『人間の証明』(森村誠一)が1977年。本格ミステリと社会派ミステリの名作が連続して映画化されている。推理小説にとっても重要な時代だったに違いない。
愛蔵版(実業之日本社)の6巻で夏目房之介が「何でもかんでも貪欲に吸収して自分の娯楽表現の栄養とした戦後マンガが、それを自分のモノにして吐き出してゆく過程の好例でもあった」と書いている。まさに然り。ワイルドのなかにはあらゆる娯楽作品の要素が詰め込まれており、それが作品を飽きさせず長期連載を可能にした理由であろう。
今回、この駄文を書くにあたって、あらためてワイルド7を読み返した。実業之日本社から出ている愛蔵版全12巻である。
めまぐるしく展開するジェットコースターのような物語に眩暈を覚える。視点はくるくると入れ替わり、切り取られた一瞬の場面が交錯する。映画的と言えよう。小説ではここまで大胆な場面切替は不可能だ。(最近のライトノベルではやっちゃっているが)
私はマンガという表現手法は、1ページのなかにコマという枠を利用して、異なる時間帯の場面を一度に表現できる極めて高次元なものだと思っている。その表現の多様さは映画を凌ぐ。ワイルドはこの利点を最大限に発揮し、映画をも超越する派手なアクションシーンを実現した。それを支えるものとしてバイクや銃器の細密な描写が必要だったのだ。
説明ネームを必要最小限にとどめているのも興味深い。『運命の七星』で、最大の謎であった軍師の正体が具体的な説明いっさいなしに絵のみで語られているところなど身震いするほどカッコいい。こういう表現はあちこちで見受けられる。読者にもある程度の読解力を求めているわけである。
暗喩を多用した洒脱な台詞も、専門的で分かり難い場合もあろう。だが、それにあえて細かな説明を加えずに雰囲気や画面効果で理解を促している。これはワイルドの文法を知っていない初見さんには不親切かもしれない。しかし、ひとたび知ってしまえば、その世界への突入が心地よく、この上ないマンガとの一体感が得られる。これこそ望月節の真の味わい方と言えよう。
ということで、だらだらと、とりとめもなく書いてしまいました。
なんだか偉そうな、漫画評論みたいな書き方をしてしまって申し訳ありません。クセなんです。
とにかく、これだけ言いたいことが溢れ出るということは、ご理解いただけるのではないかと。
釈迦に説法ですね、すみません。
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月刊望月三起也ではみなさんからの投稿をお待ちしています。
「望月マニ也」「作品紹介」のほか書式や内容は自由、採用者は「月刊望月三起也」で掲載。
また掲載された方には、望月先生書き下ろし特製ポストカードをプレゼント!
是非、月刊望月三起也事務局までメールを送ってください。
お待ちしております。
info@wild7.jp
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細い丸ペンで描いたようなシャープな線にイラストのような絵。コマひとつ取ってもカラー挿絵になりそうな感じ。
そういうのは確かに素晴らしい。見惚れるようなこともあるし、漫画が芸術だとか言える気がする。
でも、なんか違う、漫画ってそうじゃないだろう、と思うこともある。
例えば、綺麗なだけで、ストーリーがまるで頭に入ってこない漫画。
例えば、可愛い女の子の立ち絵ばっかり気合の入っている漫画。
そう、なんだか『漫画』としての面白さが、かっぽりと抜け落ちているような漫画が増えちゃいないでしょうか。
『漫画力』
かの、島本和彦先生(だったよな?)が言うところの『漫画力』の欠如である。
線の力、絵の力、構図の力、コマ割りの力、台詞の力、物語の力――これらを総じて『漫画力』と称する。
前置きが長くなりましたが、その『漫画力』に溢れていると思うわけですよ、『ワイルド7』は。
Gペンの強弱の激しい線に真っ黒なベタ、スクリーントーンなどほとんど使わない荒々しい画面。かと思えば、背景やバイクはあくまで精緻で、細かなところまで気の配った描き込み振り。
構図やコマ割りの映画的表現も特徴のひとつに数えられるが、構図だけでなくストップモーションや部分アップなどが大胆なコマ割りで表現されており、読者をぐいぐいと引っ張る魅力に満ちている。
銃火器やバイクの魅力が多く語られるワイルドだけど、漫画としての完成度が素晴らしく高い。
私は実は、銃やバイクはあまり詳しくはないので、そのへんの魅力を語ることが出来ないというのが真実ではあるんですが。
ワイルド素人の妄言ということで、笑って駄文をご容赦ください。
漫画の魅力とはなんだろうか?
まずひとつとして挙げられるのが、キャラクターの魅力だろう。
ワイルド7において、これは言わずもがな。
「悪党をもって悪党を制す!」と集められた荒くれ者7人。(必ずしも7人ではないが)
多人数系のヒーロー物といえば石ノ森の009のような作品があり、ひとりひとりに特殊な能力を付加してキャラ立ちをさせる手法は、ワンピースのような成功例を見ても分かるとおり。今はこれが溢れすぎていてすでに食傷気味なほど。
しかるに、ワイルド7はキャラひとりひとりの個性を掘り下げるのに、必ずしも『能力』を強調してはいない。
両国の『火薬に長ける』も、八百の『催眠術』も、もちろん物語を進める上で重要なものではあるが、必ずしもキャラ立ちのためには使われていない。
むしろ、キャラとしての深みを増しているのは、飛葉ちゃんの人情にあついところとか、ヘボピーの思想くささ、オヤブンの任侠、両国のマスコット的な立ち位置だろう。八百も催眠術使いとしてよりも、女への純情こそ魅力を掘り下げる核となっている。『首にロープ』で店員の女の子を誘うためガソリンスタンドに通い詰める八百のエピソードはかなり好きだ。
キャラクターみなが人間くさく、描かれない部分にも多くの物語を感じさせる。
ヒロインと言ってよいユキも、最初は敵として現れその後仲間となったが、なかなかレギュラーにはならずおミソ扱いが続いていた。ワイルドの仲間は完成度が高く、それだけ入れ替えは難しいと言うことだろう。メインの飛葉、両国、ヘボピー、オヤブン、八百の5人は揺ぎ無い。(個人的には、世界とか凄く好きだったが早期退場で残念)ようやく、ユキがメインで活躍したのが『朝食に死を』。だいぶ後期だ。この物語でのユキは飛葉ちゃんなみの頭の良さを見せた。だがいまいち詰めが甘い。飛葉ちゃんの「バーカ、その程度で得意になるな!!」の台詞が、二人の兄妹のような関係を表しているようで面白い。
最近は、キャラクター造形がテンプレート的な漫画が多く、同じような個性、同じようなエピソードを繰り返し見させられる。それだけ漫画表現手法が研究され、類型化してきたということなのだろう。皆が優れた作品から学び、様式的な面白さを求めるのはやむを得ないが、そのなかからでもなんとか新しいものを模索して欲しいものだ。
まだそんな『型』が存在しなかった時代に生まれたワイルド7は、類型に当てはまらないキャラクターの宝庫と言える。それは脇役、敵役にも言えることで、『地獄の神話』の菊川とかも惚れ惚れするくらいの犬っぷりが素晴らしい。
そしてふたつめ、物語の魅力についても語りたい。
ワイルド7は、小説分野で言うならばなんだろうか。あえて誤解を承知で答えるならば私はミステリだと思う。
ミステリは、広義に冒険小説やサスペンス、はては時代小説やSFまでも包含する節操のなさだが、定義のひとつとして『魅力的な謎が提示され、それを解決するまでの物語』があげられる。
ゆえに、ワイルド7はミステリであり、さらに細分化するならば冒険小説のカテゴリーに入るだろう。
冒険小説は、私立探偵もの、スパイもの、戦争ものなどがあげられる。海外では、ジャック・ヒギンズやル・カレ、ギャビン・ライアル、日本なら船戸与一、逢坂剛などだろうか。『事件』を背景とし、ときとして社会性も色濃く現れ、それに関わる人々(兵士、探偵、スパイなど)の壮大かつ複雑な物語が主である。その性質上、アクション的要素がふんだんに盛り込まれることが多い。
ワイルド7には、そういった冒険小説の魅力が多く詰め込まれている。
『爆破105』などがとくに色濃い。
飛行機事故から始まって、ワイルド、米軍、生き残った乗客たちのそれぞれのドラマが語られる。ひとつ判断を過てば死の状況。この緊張感はどうだろう。まったく先の読めない展開にページを繰る手が止まらない。まさに冒険ものの醍醐味である。
ワイルドの物語では、望月先生の趣味だろうか、バイクに次いで航空機が重要な位置を占める物語が多く存在する。ハイジャック(『誘拐の掟』)や飛行機事故(『爆破105』)、空中戦(『地獄の神話』)などなど。これらを読んでいると、冒険小説の名作、『シャドー81』(ルシアン・ネイハム)や『黄色い蜃気楼』(船戸与一)を思い出さずにいられない。
さらに、かなり本格ミステリ色の濃い作品も存在する。
『黄金の新幹線』は社会派の様相を呈しながらも謎の解明に論理性が重要視されており、論理ミステリといって良いだろう。『首にロープ』の遺産相続というテーマも、ミステリマニアに嬉しい。
余談だが、このふたつのラストのカッコ良さは特筆ものである。
ワイルドが連載されていた70年代といえば、推理小説は社会派全盛ながらも、角川によって横溝作品が映画化された時代でもある。『犬神家の一族』(横溝正史)が1976年、『人間の証明』(森村誠一)が1977年。本格ミステリと社会派ミステリの名作が連続して映画化されている。推理小説にとっても重要な時代だったに違いない。
愛蔵版(実業之日本社)の6巻で夏目房之介が「何でもかんでも貪欲に吸収して自分の娯楽表現の栄養とした戦後マンガが、それを自分のモノにして吐き出してゆく過程の好例でもあった」と書いている。まさに然り。ワイルドのなかにはあらゆる娯楽作品の要素が詰め込まれており、それが作品を飽きさせず長期連載を可能にした理由であろう。
今回、この駄文を書くにあたって、あらためてワイルド7を読み返した。実業之日本社から出ている愛蔵版全12巻である。
めまぐるしく展開するジェットコースターのような物語に眩暈を覚える。視点はくるくると入れ替わり、切り取られた一瞬の場面が交錯する。映画的と言えよう。小説ではここまで大胆な場面切替は不可能だ。(最近のライトノベルではやっちゃっているが)
私はマンガという表現手法は、1ページのなかにコマという枠を利用して、異なる時間帯の場面を一度に表現できる極めて高次元なものだと思っている。その表現の多様さは映画を凌ぐ。ワイルドはこの利点を最大限に発揮し、映画をも超越する派手なアクションシーンを実現した。それを支えるものとしてバイクや銃器の細密な描写が必要だったのだ。
説明ネームを必要最小限にとどめているのも興味深い。『運命の七星』で、最大の謎であった軍師の正体が具体的な説明いっさいなしに絵のみで語られているところなど身震いするほどカッコいい。こういう表現はあちこちで見受けられる。読者にもある程度の読解力を求めているわけである。
暗喩を多用した洒脱な台詞も、専門的で分かり難い場合もあろう。だが、それにあえて細かな説明を加えずに雰囲気や画面効果で理解を促している。これはワイルドの文法を知っていない初見さんには不親切かもしれない。しかし、ひとたび知ってしまえば、その世界への突入が心地よく、この上ないマンガとの一体感が得られる。これこそ望月節の真の味わい方と言えよう。
ということで、だらだらと、とりとめもなく書いてしまいました。
なんだか偉そうな、漫画評論みたいな書き方をしてしまって申し訳ありません。クセなんです。
とにかく、これだけ言いたいことが溢れ出るということは、ご理解いただけるのではないかと。
釈迦に説法ですね、すみません。
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月刊望月三起也ではみなさんからの投稿をお待ちしています。
「望月マニ也」「作品紹介」のほか書式や内容は自由、採用者は「月刊望月三起也」で掲載。
また掲載された方には、望月先生書き下ろし特製ポストカードをプレゼント!
是非、月刊望月三起也事務局までメールを送ってください。
お待ちしております。
info@wild7.jp
===========================================
forty さんのプロフィール
【望月三起也先生より】
深読みですねぇ、fortyさん。
こういう読み方、1回読んで放り出しちゃったら不可能。サッカーだったらドリブルだ、中々パスしない。ゴールには感心させられるとともに、「あぁ、そういう方向からシュートしてくるか」と、キーパーになった気分で受け止め、楽しんで読め、これからの参考になりますよ。
ペンの強弱、よく言われますが、これ実は私、筆圧が高いンだと思います。それだけに私にはGペンがマッチしていますし、同時に線に強弱をつけないと、ただの荒っぽい絵に終わってしまう。それでコンビは丸ペン、これで荒さを抑え安定させつつ、奥の深い絵を目指すわけなんです。
誰でもがこのペンのコンビがいいわけじゃなく、私には私の個性、荒っぽい性格が出てるからこういう手法を取るわけで、別のコンビでのタッチは、自分で納得できないと思うんです。
登場人物の性格、何人分もストーリーと関係なく創作しておきます。
顔やスタイルの見た目は当然として、性格が重要。とことんここはリアルに、「いる、いる、こういう奴」ってくらいに創る。それだけにモデルは友達だとか、知り合い、中にはクラスメイトだったけど付き合いたくない奴、担当編集さん、これらが結構リアルで喜ばれるンですねぇ。
菊川警部(ワイルド7 地獄の神話編)なんてモデルはサッカー、三菱重工サッカー部の選手だった人。だから着ているスーツの柄は三菱マーク柄を面倒でも描くわけで、本人はまじめ一本気、曲がった針金も真っ直ぐに直したくなる、大通りを真っ直ぐ走るって性格。
つい最近も十何年かぶりで、九州福岡で夕飯一緒に喰いました。何年会わなくても昨日と同じって口の利き方出来る数少ない親友です。
さらに、憎たらしく現実に存在する人、これがまたいい悪役になるんですねぇ。
私、30過ぎて自動車免許証を取りに教習所へ通ったもんですから、動きも覚えも若い人とは違うンでしょう。それを「教官A」って人が、いちいち「ちっ」って、舌で不満を表す。や、ですねぇ、無礼ですよ。いくら教師と生徒といっても。
おまけに教習終わってクルマを降りるときの一言、「もう1時間、乗ってもらいましょうか」・・・・・ そのときのニヤついた顔、これは忘れられない、口惜しいねぇ。
もろ、これこそいいネタ、このキャラ活かして当時ビッグコミック(小学館)で3~4週使わせていただきました。活き活きしたキャラクターだと好評でしたね。
ヒーロー物多人数系・・・・・ 特にワイルド7が印象に残っているようですが、私にとっては今さらで、デビュー間もないころに『最前線 二世部隊物語』って、第二次大戦下のヨーロッパを舞台にした戦争物を描いていました。これも一分隊の団体。それ以外にも日本軍物にサッカー物。秘密探偵JAも主人公一人の活躍ではなく、仲間に個性付けて活かしていたつもりで、私の場合バックは常に『友情』、不変のテーマ、「自分の背中を安心してあずけられる友」・・・・・ 変わりません。
と、同時に素晴らしい悪役が産み出せたとき、主人公が素晴らしく目立つってことです。
だから“悪役”は大切にしなくっちゃね。
またストーリー、ワイルド7を通じて『ギャビン・ライアル』『ジョン・ル・カレ』『ジャック・ヒギンズ』の名を挙げておられますが、ハイ!すべて私の愛読書です。
ハードな探偵物のライアル、スパイのリアリティはル・カレ、戦争物にまでアクションの幅を広げたヒギンズ。それぞれ夢中で読みました。そのあたりがミステリーと捉えてくださるわけですね。また冒険小説と捉えてくださるのは嬉しいねぇ。
「深夜プラスワン」って、ライアルの代表作と同名の内藤陳(故人)さん経営の飲み屋さんにも行き、陳さんとは何時間も寿司屋でしゃべり、朝の3時まで語っちゃったのが大沢在昌センセ、『新宿鮫』です。
同じ方向目指していると、手法は違っても馬が合うンですね。冒険小説家も多分、同じ方向狙っているンでしょう、馳ちゃん(馳 星周)とも馬が合うのもそのせいかも。
彼とは拳銃好きってとこも、更にサッカーフリークってことでもあり、語りだしたら止まらないかも。
おっと、話がそれる・・・・・
ジェットコースターに物語、例えられてますが、最近では映画でもこう表現しますね。私の場合、無声映画時代のバスター・キートンの活劇なんてのが参考といえます。次はどうなる?ハラハラドキドキの連続。昨今映画屋さんがそれをジェットーコースターに例え、原点回帰をやってますが、理屈なんて少々合わなくたって、映画館を出てきたときヒーローになれた気分になってる。ワイルド7を読んだあと、飛葉のように生きたいなんて気になってくれたらと、そう思って描いているわけで、実は気分はアマチュア。編集者が「今、これが世の中流行」とか「ウケてます」とか言われても、「そうですか」と聞き流し、ただひたすら自分の世界へ読者を引っ張り込む、自分と同じ世界で楽しさを共有したいンです。
コマ割りの工夫もその手段のひとつ、隠語(暗喩)にまで眼をを向けてくださる深読みfortyさん、只者じゃないね。
そうなんです、私、作風としてセリフ少な目、説明的セリフ大嫌い。漫画は絵で読ませるものと思っていますので。
これだけ深く読んでくださると油断できません。これからも心して力量落ちたなんて言われないよう、100歳の誕生日迎えよう!
深読みですねぇ、fortyさん。
こういう読み方、1回読んで放り出しちゃったら不可能。サッカーだったらドリブルだ、中々パスしない。ゴールには感心させられるとともに、「あぁ、そういう方向からシュートしてくるか」と、キーパーになった気分で受け止め、楽しんで読め、これからの参考になりますよ。
ペンの強弱、よく言われますが、これ実は私、筆圧が高いンだと思います。それだけに私にはGペンがマッチしていますし、同時に線に強弱をつけないと、ただの荒っぽい絵に終わってしまう。それでコンビは丸ペン、これで荒さを抑え安定させつつ、奥の深い絵を目指すわけなんです。
誰でもがこのペンのコンビがいいわけじゃなく、私には私の個性、荒っぽい性格が出てるからこういう手法を取るわけで、別のコンビでのタッチは、自分で納得できないと思うんです。
登場人物の性格、何人分もストーリーと関係なく創作しておきます。
顔やスタイルの見た目は当然として、性格が重要。とことんここはリアルに、「いる、いる、こういう奴」ってくらいに創る。それだけにモデルは友達だとか、知り合い、中にはクラスメイトだったけど付き合いたくない奴、担当編集さん、これらが結構リアルで喜ばれるンですねぇ。
菊川警部(ワイルド7 地獄の神話編)なんてモデルはサッカー、三菱重工サッカー部の選手だった人。だから着ているスーツの柄は三菱マーク柄を面倒でも描くわけで、本人はまじめ一本気、曲がった針金も真っ直ぐに直したくなる、大通りを真っ直ぐ走るって性格。
つい最近も十何年かぶりで、九州福岡で夕飯一緒に喰いました。何年会わなくても昨日と同じって口の利き方出来る数少ない親友です。
さらに、憎たらしく現実に存在する人、これがまたいい悪役になるんですねぇ。
私、30過ぎて自動車免許証を取りに教習所へ通ったもんですから、動きも覚えも若い人とは違うンでしょう。それを「教官A」って人が、いちいち「ちっ」って、舌で不満を表す。や、ですねぇ、無礼ですよ。いくら教師と生徒といっても。
おまけに教習終わってクルマを降りるときの一言、「もう1時間、乗ってもらいましょうか」・・・・・ そのときのニヤついた顔、これは忘れられない、口惜しいねぇ。
もろ、これこそいいネタ、このキャラ活かして当時ビッグコミック(小学館)で3~4週使わせていただきました。活き活きしたキャラクターだと好評でしたね。
ヒーロー物多人数系・・・・・ 特にワイルド7が印象に残っているようですが、私にとっては今さらで、デビュー間もないころに『最前線 二世部隊物語』って、第二次大戦下のヨーロッパを舞台にした戦争物を描いていました。これも一分隊の団体。それ以外にも日本軍物にサッカー物。秘密探偵JAも主人公一人の活躍ではなく、仲間に個性付けて活かしていたつもりで、私の場合バックは常に『友情』、不変のテーマ、「自分の背中を安心してあずけられる友」・・・・・ 変わりません。
と、同時に素晴らしい悪役が産み出せたとき、主人公が素晴らしく目立つってことです。
だから“悪役”は大切にしなくっちゃね。
またストーリー、ワイルド7を通じて『ギャビン・ライアル』『ジョン・ル・カレ』『ジャック・ヒギンズ』の名を挙げておられますが、ハイ!すべて私の愛読書です。
ハードな探偵物のライアル、スパイのリアリティはル・カレ、戦争物にまでアクションの幅を広げたヒギンズ。それぞれ夢中で読みました。そのあたりがミステリーと捉えてくださるわけですね。また冒険小説と捉えてくださるのは嬉しいねぇ。
「深夜プラスワン」って、ライアルの代表作と同名の内藤陳(故人)さん経営の飲み屋さんにも行き、陳さんとは何時間も寿司屋でしゃべり、朝の3時まで語っちゃったのが大沢在昌センセ、『新宿鮫』です。
同じ方向目指していると、手法は違っても馬が合うンですね。冒険小説家も多分、同じ方向狙っているンでしょう、馳ちゃん(馳 星周)とも馬が合うのもそのせいかも。
彼とは拳銃好きってとこも、更にサッカーフリークってことでもあり、語りだしたら止まらないかも。
おっと、話がそれる・・・・・
ジェットコースターに物語、例えられてますが、最近では映画でもこう表現しますね。私の場合、無声映画時代のバスター・キートンの活劇なんてのが参考といえます。次はどうなる?ハラハラドキドキの連続。昨今映画屋さんがそれをジェットーコースターに例え、原点回帰をやってますが、理屈なんて少々合わなくたって、映画館を出てきたときヒーローになれた気分になってる。ワイルド7を読んだあと、飛葉のように生きたいなんて気になってくれたらと、そう思って描いているわけで、実は気分はアマチュア。編集者が「今、これが世の中流行」とか「ウケてます」とか言われても、「そうですか」と聞き流し、ただひたすら自分の世界へ読者を引っ張り込む、自分と同じ世界で楽しさを共有したいンです。
コマ割りの工夫もその手段のひとつ、隠語(暗喩)にまで眼をを向けてくださる深読みfortyさん、只者じゃないね。
そうなんです、私、作風としてセリフ少な目、説明的セリフ大嫌い。漫画は絵で読ませるものと思っていますので。
これだけ深く読んでくださると油断できません。これからも心して力量落ちたなんて言われないよう、100歳の誕生日迎えよう!
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2014/02/17 at 8:54 AM
2014/08/05 at 4:20 PM
汚さ、とは違うな・・・武骨さというか・・・自然さと言うか
そんな感じの迫力さを感じる望月作品はいいですね。
うまく言えません。