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作品紹介

第46回

GIジョー 悪一番隊

執筆者:   2012 年 9 月 1 日

掲載誌が度重なる廃刊という運命で、隠れた秀作の声のある一作。望月三起也のライフワークとも言える二世部隊シリーズの異端作品を掘り起こす。

今回、私が『GIジョー 悪一番隊』の作品紹介を執筆しようと思ったのは、あるニュースを見た時です。「2011年9月米議会両院は、第2次世界大戦中にヨーロッパの激戦地で戦った日系人部隊に対し、米国で最も権威のある勲章『議会金メダル』を授与する」と発表しました。

【日系人部隊とは、1942年5月にハワイの日系人を中心に編成された第100歩兵大隊(通称「ワンプカプカ」)の事で、その後、アメリカ全土の日系人を合わせ、1943年2月に第442連隊が作られました。その中でヨーロッパ戦線において数多くの活躍をしたのが442部隊です。】

しかし、今から約70年余り前の兵士たちに今更なぜ勲章を?と正直
思いました。

そこですぐ思い出したのが、二世部隊の活躍を今から約40年も前に
漫画化されておられた望月先生の事です…。


元々、アメリカテレビ映画「コンバット」が大好きな望月先生は、なんとかその漫画を描きたいと思われたそうですが、日本人の主人公を描く外国ものは流行らないというジンクスが当時の漫画界にはあったそうです。

それなら二世を主人公にすればいいと色々考えてお調べになられたところ、日系二世が実際に第二次世大戦で活躍したという事実を知り、「二世部隊物語」「最前線」「悪一番隊」「ワンプカプカ」などの二世部隊を主人公にした作品を描かれてこられました。

この作品が発表されたのは1971年、私はまだ11歳の小学生でした。連載は「別冊少年キング」。当時隣の家の一つ年上のお兄ちゃんの部屋に遊びに行くと月刊漫画雑誌が必ず数冊置いてあって、それを見るのが楽しみで、その中の1冊が「別冊少年キング」だったと思います。

小学生だった私にはストーリーよりも、ただただ戦車やゼロ戦がカッコよく登場する漫画を一番面白く感じていて、作品が訴えているテーマや内容はあまり気にせず読んでいました。その中の一編がこの「悪一番隊」だったと思います。
まだ望月先生の作品ということも二世という言葉の意味もよくわからず、どうしてジョーたちはどうしてこれほどひどい仕打ちをされるのかだけが印象に残っていました…。

その後、段々大人になるにつれて二世の意味、その事による人種差別の酷さがわかるようになり、高校生の時に「悪一番隊」が初めて単行本になって久し振りに読んだ時、あまりの仕打ちにキング連載当時は感じなかった戦争の悲惨さ、人種差別の悲劇が胸に突き刺さるほど心に響きました。


今回ご紹介する「悪一番隊」の主人公はハワイの少年院に収容されている日系二世の少年たちで、この物語は彼らの苦悩と友情の物語です。あらすじは、真珠湾攻撃前のハワイからスタートします。

日本から出稼ぎの為移住し生活基盤をやっと築いていたジョー松田の父子は、12月8日の日本軍による真珠湾攻撃の為に、その日を境に生活が一変してしまう。いわれのない罪を着せられ収容所に入れられてしまうジョー。
そこで同じ二世の番太とその仲間たちと出会い、ただひたすら自由を勝ち取るという理由だけの為に、日本人の血が半分流れているにもかかわらず、連合軍の兵士として戦わなければならない運命を背負ってしまう。果たして彼らは見事自由を勝ち取ることが出来るのか…?



戦後60年余り経った現在にアメリカ政府が、日系二世部隊に対して勲章を与える意味とは、それだけ辛く惨めな戦闘の中、国境を越えて戦った兵士たちがかく勇敢で友情を大切にしたことに対しての感謝の気持ちからだと私は解釈します。そして「悪一番隊」に限らず、勇気と友情の大切さを常に教えてくれた数々の望月先生の作品群にも感謝です。他の執筆者の方が、時々されていますが、この作品にも何度も単行本で見直していると「あれ?」と首をかしげてしまうシーンがたしかにあります。そういう事がどうして起きるか原因も知っています。

毎週毎週締め切りに追われ原稿を編集者に渡すと手元に何も残らず、今の時代のようにパソコンでデータを残しておけば起きないのでしょうが、1971年当時では、手作業の流れ作業で作品を作り上げていたと推測されますので、作品を書き上げるの精一杯。資料だって今なら戦車やゼロ戦の事を調べることはネットで簡単に出来ますし、型が知りたければプラモデルなど手本にするものはいくらでもあります。ほとんど資料がなかった時代にこれほどまでに精密に描かれた望月先生を始め当時のスタッフの皆様に本当にご苦労様と有難うと言いたいです。





昭和47年の別冊少年キング1月号に付録でついた年賀状です。

戦争反対の先生らしいメッセージですね。


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『GIジョー 悪一番隊』

1971年 少年画報(少年画報社)11号

1971年 別冊少年キング(少年画報社)1971年8月号~1972年10月号

1975年 サンコミックス(朝日ソノラマ)

1984年 スターコミックス(大都社)単行本名『悪一番隊』

1993年 STコミックス(大都社)単行本名『新最前線・悪一番隊』

2001年 漫画文庫(ホーム社)単行本名『二世部隊物語 5』

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是非、月刊望月三起也事務局までメールを送ってください。
お待ちしております。
info@wild7.jp
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望月先生のコメント
【望月三起也先生より】
この作品『悪一番隊』、私の趣味である戦車だとか(旧)ドイツ軍だとか、そういうものを描きたくって始めたって、ホント、職業意識がないんですねぇ。
ストーリー作りが一番好きですけど、画の方は好きなモノ、嫌いなモノ、結構あるんです。
食道楽のわりに野菜が苦手、ニンジンだホウレン草だって、フレンチ食べに行って、これだけは入れないで!って、未だに断る。
画の方で苦手は、若い頃「飛行機」、「バイク」、「女性」・・・・・
意外? そう、これらは私の“売り”として定着してますからねぇ。

でもね、私が吉田竜夫先生のところでアシスタントをやってた頃、バイクの車輪の直し、しょっちゅう喰らってましたし、辻直樹さんのお手伝い頼まれて、高田の馬場のお宅へ一日行ったことがあり、当時辻さん、『0戦太郎』執筆中でゼロ戦が何百機も出てくる話、私、何十機か描く、私としては描いたゼロ戦に自信を持ってました、飛行機好きだしね。

ところが辻さん 「モッちゃんねぇ、悪いけど、これゼロ戦になってないンだよ・・・・・」って。
何度描き直しても不合格、フォルムが掴めてないって・・・・・
結局、一日なにも手伝えなくて、近所の旨いメシ屋でご馳走になって帰ってきたってこともあったんですよ。
ちなみに、この頃の辻さんのアシスタントをしていた人が後の『モンキー・パンチ』さんで、そこでの出会いが初だったのですねぇ。

ま、そのくらい飛行機を描くのがダメだったのに、集英社(月刊少年ブック)での初仕事が「戦闘機シリーズ」ってタイトルの作品で、世の中わからないのです。
戦闘機、下手ですけど好きってことと、その情熱は他人に負けないって気持ちが編集者に伝わったンでしょうね。

で、ストーリーだけは拘りました、こっちは得意!!
それも各機種の特性を話の中心に据えるというプロっぽい構成をとって、アドバイザーに飛行機通の方を用意してもらったりしたものです。
このシリーズで飛行機の描き方、勉強させてもらったようなものです。

さて本題、二世部隊もの『悪一番隊』は「最前線」のルーツ、「最前線」の前部分のエピソードを描きたくて・・・・・ といった作品でしょうか。
ここでも何度も書いていますが、「最前線」執筆中は資料の少ない時代で、かなり間違ったタイガー戦車や4号戦車を描いてしまい、その後資料が入手できるにしたがって、正しい正確な戦車を描きたいとの思いが、再度二世部隊ものを描いた大きな動機でしたね。
今なお集めている資料で“正しい”「最前線」を描き直してみたいなんてことも考えないではありません。
ストーリーそのまま、主人公もミッキー熊本でね。
そのくらい間違って描いたってことは、何十年経っても恥ずかしいことなんです。

最近プラモデルの会などで、当時「最前線」を夢中になって読んだというファンの方々から、車輪の型の違いなんて拘りに関係なく、「あの迫力シーン、凄かった。あれを見て40歳過ぎた今もプラモデルを作ってます。」なんて嬉しいことを言われますが、私としてはやっぱり恥ずかしい。
あの頃はタミヤ製戦車のプラモデルも参考に使ってましたから、一部いい加減な画になっているってことは、タミヤも資料が少なく、いい加減だったンですね。
でも、おもしろい話で、その当時の間違いだらけのプラモデルで育ったファンから、その製品の復刻版を発売して欲しいって声がかなりタミヤ本社に届いているそうです。
で、会長さんにそのことを話すと、「懐かしいって気持ちは判る、でも作る側として正確さ欠いたものを再び世に出すことは恥ずかしくって出来ない。」って答えが返って来たとタミヤ社員に聞きました
。 同じなんですねぇ、まったく私と。“恥”って字が重いンですよ。
だからその後のタミヤ製品、正確になっていくわけです。

この話、タミヤ社員の方から聞いたとき、会長さんの気持ち、俺、判る!!
と、なんか、より親しみ感じたものです。

もうひとつ、二世部隊繋がりのはなし。
「最前線」を連載中に読んでファンになってくれた人が、こういう話をいつか自分も書きたいと望み、ついに数十年後に実現させた作家がいます。
真保裕一さん、タイトルは『栄光なき凱旋』
文春文庫で上中下、三巻で読みました。これがまた凄い!
たまたま入院中だったとき、土山しげるくんが差し入れてくれたもので、いやもう、読み始めたら止まらないとはこういうこと。ページが減るのが、読み終わるのが辛い。
なにしろベッドの上、やることもないからヘタすりゃ一日で読み終わる。
そこで一日何ページしか読まないって読むページ数決めて長持ちさせました。
こんなこと、初めて。
いやァ、失礼ながら、日本人で戦闘シーンがまるで映画を観ているように読み手の頭の中で怖さ体感させられる小説家がいるなんて驚き。そのうえこの大作、登場人物が多い。それがまた一人々個性が付けられていて、前のページを繰って確かめなくても、誰が・・・・・ 誰と・・・・・ なんてのがよく判る。これも凄い。
この作家の作品では『ホワイトアウト』が有名で、あれも映画を観ているような動きのあるシーンの名作ですが、この二世部隊ものはその3倍、いや5倍は読ませてくれます、見せてくれます。

この一作を読んでからは、書店に注文出して真保裕一作品、全刊買い込みました。残念ながら絶版もあり完全全刊とはいかなかったのですが、未だ毎日読み続け、嵌っています。
中でも、偽金作りのユーモア小説なんてのは、「才能、どこまであるの?」・・・・・ と・・・・ と・・・・

いかん、ファンとして、チトはまり過ぎ、本題から離れてしまう。
そう、みなさんもこの小説『栄光なき凱旋』、二世部隊ものをぜひ!!と、いうことで。
主人公のヒーローぶりより人間臭さが、いい!! (笑)




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