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  現代漫画論考Ⅱ(男の「理想」とは)
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No.090929192413272496.1.1.1    09/10/05(Mon) 04:07   by  ワイルド7の血脈 (EM114-48-0-166.pool.e-mobile.ne.jp) [承認] [変更] [削除]
>> if ($DEF_TAKABBS_IMAGE_TYPE == "1"){ ?> ", $image); // 20060819----------------------------------------------------------------->>> $array_image_org = explode("<>", $image_org); $j = 0; // 20060819-----------------------------------------------------------------<<< ?> >> } // 20050211 ------------------------------------------------------------------<<< ?>
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"; // 20060819-----------------------------------------------------------------<<< } // 20060819----------------------------------------------------------------->>> $j++; // 20060819-----------------------------------------------------------------<<< } } ?> 【 Re2: 土山しげる版ワイルド7+対談 】への返信

夢オチかよ~昭和期に忘れてきた何でもありの禁句だったんじゃないかと思いつつも画力だけには圧倒されておりました。

自由奔放に描いて欲しいけれどもまだまだ原作の威厳の前に模(かたど)っている堅さがあるのだけれども面白く読んでいます。

対談も載っていて力が入っているのを感じています。


現在進行形で、望月三起也先生がどのように考えているのかにも興味を持っています。

最初は、反対された作品。
それは、サイボーグ009、武器の商人とベトナム戦争批判の立場から描き出した作品のコメントをも思い出していました。
アメリカ的視点、日本的島国根性の視点を
人体改造サイボーグとされた各国の少年戦士と言う設定が、
正義は、自国だと言う狭義の引きこもりや鎖国的考えを正す設定が難解だというわけだ。
だが、その事は、寧ろ、頭が堅くなった大人よりも柔軟な少年少女の方が、簡単に受け入れられる事も幾度も証明されてきたものだったと思う。

ワイルド7の冒険と成功もこのサイボーグ009と比較して考察するのも面白いが、現在、原作者の石ノ森先生も他界してしまったこともあって、原点となる
上記のアンチテーゼが、忘れ去られがちになっていると思う。
ただ、SFであって、勧善懲悪一話完結になりがちのアニメ展開を残念に思っていたりしていた。
サンライズならガンダム並に主題を貫いて欲しいなと思っていた。
(今ならサイボーグ戦士の悲哀は、臓器売買され売り買いされる少年少女の悲哀になるのだろう。)

しかし、ワイルド7もカムイ伝の第一部の終結の時の白土先生のあとがきよろしく、船底に穴が開いたりぼろぼろになりながらも原点となる基本的設定とモチーフ(創意)を貫き、模索しながらもどうにかこうにか続いてきているのが嬉しい限りでもある。

暗中模索は、それぞれにあるように思うのだが、それでも原点を確かめながら進んでいるのを感じながら「対談」を読んでいた。


《本当は、人生においていい訳をしたいわけだよ。でも、いい訳をしないってのがかっこいいわけだよ。『ワイルド7』は男の「理想」を描いたんだよね》

ワイルド7の中で、この箇所がどのように体現されてきたかは、まだまだ研究に値するのだけれども

言い訳しない・男と言うものが、最大に意味を持っていたのは、第2次大戦の敗戦であり、人生の過失を背負っていた「網走番外地」の高倉健だったのではないだろうか。

しかし、昨今、男は、流行らなくなった。
SFアニメやガンダムでも女性戦士が、同じ比重で活躍し、「草食系男子」が持てる基準となってしまっている。

悪となりても反逆したい反逆して貰いたい気持ちはあるものの、男らしい、女々しいのフレーズは、(社民党に気兼ねするわけではないが)前時代的なもの昭和期も通り過ぎて、戦前のものとなっているイメージがある。

言い訳がかなわなかった敗戦は、全共闘の時代も同様であり、その時代を乗り越えてワイルド7が、「男の生き方」の「理想」を掲げようと言うのならそれは、茨の道であり、一歩間違えるならドンキ・ホーテになりかねない危うさがあるのだけれどもこの戦いを避けて

「男」といえるのだろうか?高倉健さんにも申し訳が立たないのではないだろうか?


しかし、言いたいことは、
言い訳するとはどう言うことなのだろうか?

「ソクラテスの弁明」が、代表的であり、愚衆的民主主義によって殺された師ヲ悼み怒りを持ってプラトンが、書き上げた名作だ。

言い訳をしないことと説明責任を持つことの境目とは何なのだろうか?

このような大きな問題を背負う年代となったかつての少年少女に今、漫画は、本当の意味で、現在の少年少女に「説明責任」を果たしているのだろうか???

その事を繰り返し考えるのである。

(話は、変わりますが…)

http://wild7.jp/1956#trackbacks

第7回

ワイルド7「魔像の十字路」執筆者:ぐりゅーん・へるつ 2009 年 2 月 2 日

今頃気がつきました。

新撰組にも書きたいこといっぱい。でも、書くときと読むときがちぐはぐな僕は、沢山読み落としている様ですみません。

僕も書きたい気がしますが、型にはまった文章が苦手な自由人、根っからのワイルド血脈なものですから…




今回も書きっぱなしの徒然、走り書きすみません。


今、雑誌レベルで、注目している漫画は、

ワイルド7トリュ

カイジ

カムイ外伝(新作)

かな。


カムイ外伝満員御礼舞台挨拶チケット明日発売。取れたら行きます。

近況は、こんな感じです。



カムイ外伝の内包しているもの
http://blog.goo.ne.jp/wild7_2008/e/91aabcd75a502105bf365a0d16a8f788
↑この掲示板宛てに現代漫画論考Ⅰとして、書き出したのですが、
以下にも書いてあったように入らなかったものを再録してみました。



これを受け止められる真の「男」を求むと言うわけで
「難破船」的に文章を書き、掲上しているわけです。

>> /// $image_w = ($buff_image_w > $DEF_MAX_IMAGE_SIZE_S) ? $DEF_MAX_IMAGE_SIZE_S : $buff_image_w; if ($buff_image_w > $DEF_MAX_IMAGE_SIZE_S){ $image_w = $DEF_MAX_IMAGE_SIZE_S; $img_src = "s_".$val; if (!file_exists($DEF_TAKABBS_ENTRY_PATH."attached/".$img_src)){ $img_src = $val; } }else{ $image_w = $buff_image_w; $img_src = $val; } // 20050507 ------------------------------------------------------------------<<< $extention = substr(strrchr($val, "."), 1); if ((ereg("[pP][nN][gG]",$extention))||(ereg("[jJ][pP][gG]",$extention))||(ereg("[jJ][pP][eE][gG]",$extention))||(ereg("[jJ][pP][eE]",$extention))||(ereg("[gG][iI][fF]",$extention))){ ?>
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>> }else{ echo "".str_replace("_".$val,"",$array_image_org[$j])."
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【 Re2: 土山しげる版ワイルド7+対談 】への返信

夢オチかよ~昭和期に忘れてきた何でもありの禁句だったんじゃないかと思いつつも画力だけには圧倒されておりました。

自由奔放に描いて欲しいけれどもまだまだ原作の威厳の前に模(かたど)っている堅さがあるのだけれども面白く読んでいます。

対談も載っていて力が入っているのを感じています。


現在進行形で、望月三起也先生がどのように考えているのかにも興味を持っています。

最初は、反対された作品。
それは、サイボーグ009、武器の商人とベトナム戦争批判の立場から描き出した作品のコメントをも思い出していました。
アメリカ的視点、日本的島国根性の視点を
人体改造サイボーグとされた各国の少年戦士と言う設定が、
正義は、自国だと言う狭義の引きこもりや鎖国的考えを正す設定が難解だというわけだ。
だが、その事は、寧ろ、頭が堅くなった大人よりも柔軟な少年少女の方が、簡単に受け入れられる事も幾度も証明されてきたものだったと思う。

ワイルド7の冒険と成功もこのサイボーグ009と比較して考察するのも面白いが、現在、原作者の石ノ森先生も他界してしまったこともあって、原点となる
上記のアンチテーゼが、忘れ去られがちになっていると思う。
ただ、SFであって、勧善懲悪一話完結になりがちのアニメ展開を残念に思っていたりしていた。
サンライズならガンダム並に主題を貫いて欲しいなと思っていた。
(今ならサイボーグ戦士の悲哀は、臓器売買され売り買いされる少年少女の悲哀になるのだろう。)

しかし、ワイルド7もカムイ伝の第一部の終結の時の白土先生のあとがきよろしく、船底に穴が開いたりぼろぼろになりながらも原点となる基本的設定とモチーフ(創意)を貫き、模索しながらもどうにかこうにか続いてきているのが嬉しい限りでもある。

暗中模索は、それぞれにあるように思うのだが、それでも原点を確かめながら進んでいるのを感じながら「対談」を読んでいた。


《本当は、人生においていい訳をしたいわけだよ。でも、いい訳をしないってのがかっこいいわけだよ。『ワイルド7』は男の「理想」を描いたんだよね》

ワイルド7の中で、この箇所がどのように体現されてきたかは、まだまだ研究に値するのだけれども

言い訳しない・男と言うものが、最大に意味を持っていたのは、第2次大戦の敗戦であり、人生の過失を背負っていた「網走番外地」の高倉健だったのではないだろうか。

しかし、昨今、男は、流行らなくなった。
SFアニメやガンダムでも女性戦士が、同じ比重で活躍し、「草食系男子」が持てる基準となってしまっている。

悪となりても反逆したい反逆して貰いたい気持ちはあるものの、男らしい、女々しいのフレーズは、(社民党に気兼ねするわけではないが)前時代的なもの昭和期も通り過ぎて、戦前のものとなっているイメージがある。

言い訳がかなわなかった敗戦は、全共闘の時代も同様であり、その時代を乗り越えてワイルド7が、「男の生き方」の「理想」を掲げようと言うのならそれは、茨の道であり、一歩間違えるならドンキ・ホーテになりかねない危うさがあるのだけれどもこの戦いを避けて

「男」といえるのだろうか?高倉健さんにも申し訳が立たないのではないだろうか?


しかし、言いたいことは、
言い訳するとはどう言うことなのだろうか?

「ソクラテスの弁明」が、代表的であり、愚衆的民主主義によって殺された師ヲ悼み怒りを持ってプラトンが、書き上げた名作だ。

言い訳をしないことと説明責任を持つことの境目とは何なのだろうか?

このような大きな問題を背負う年代となったかつての少年少女に今、漫画は、本当の意味で、現在の少年少女に「説明責任」を果たしているのだろうか???

その事を繰り返し考えるのである。

(話は、変わりますが…)

http://wild7.jp/1956#trackbacks

第7回

ワイルド7「魔像の十字路」執筆者:ぐりゅーん・へるつ 2009 年 2 月 2 日

今頃気がつきました。

新撰組にも書きたいこといっぱい。でも、書くときと読むときがちぐはぐな僕は、沢山読み落としている様ですみません。

僕も書きたい気がしますが、型にはまった文章が苦手な自由人、根っからのワイルド血脈なものですから…




今回も書きっぱなしの徒然、走り書きすみません。


今、雑誌レベルで、注目している漫画は、

ワイルド7トリュ

カイジ

カムイ外伝(新作)

かな。


カムイ外伝満員御礼舞台挨拶チケット明日発売。取れたら行きます。

近況は、こんな感じです。



カムイ外伝の内包しているもの
http://blog.goo.ne.jp/wild7_2008/e/91aabcd75a502105bf365a0d16a8f788
↑この掲示板宛てに現代漫画論考Ⅰとして、書き出したのですが、
以下にも書いてあったように入らなかったものを再録してみました。



これを受け止められる真の「男」を求むと言うわけで
「難破船」的に文章を書き、掲上しているわけです。

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