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土山しげる先生 ジャンボインタビュー!(後編)

【インタビュー後編】
※前号(前編)では、望月作品との出会いからカエルぷろ入門時の様子などを中心にお伺いしました。
  今号(後編)は、弟子として師匠・望月三起也 先生から教わったこと-”極意”や、
  当時のエピソードなどについて、もっと深くお伺いしてみたいと思います。
   
   


     

―――それでは、望月先生の言葉や行動で印象に残っていることってありますか?
キャラを大事にしろっていうのは言われましたよね。みんな知らないと思うんだけど、長谷川和夫っていう役者がね‥‥‥

     

―――はい、知っています。
長谷川和夫を一人作ればいいんだって言われてね。

     

―――それははじめて聞きました。
それを作れば、あとは‥‥‥ 動いていく。凄く印象に残っていることばです。あっ、それから印象に残っているのは切り貼り。これは先生もおっしゃってるし僕も何度も言ってるし、夢にまで出て来るという話しね(笑)。

     

―――切り貼りっていう技術は、今も使いますか?
僕は今も使ってますよ、コンピューター使ってる人は関係ないでしょうけど。ただ、あの当時の先生のところの原稿用紙ってのは分厚いんですよ。今、僕らが使っているのはぺらぺらで、切り貼りして裏から押し上げちゃっても全然大丈夫なんだけどカエルぷろではこんな厚さになってたもんね(三センチぐらい指で指し示し)。B4ケント紙で、確か当時60円。かなり高級なケント紙を使ってたんですよ。基本コマ割りの穴開けが大変でね。まず、作業は穴開け。最初にさせられます(笑)。

     

―――他に何か当時の思い出はありますか?
これは書いたら先生が気分悪くするかも知らんけど、辛かった思い出があるんですよ。慰安旅行に連れて行ってくれたんです。で、その時は多分、箱根だったと思います。箱根のあたりだったかな。はっきり憶えてないけど、自家用車に弟子等みんなで乗って、あと先生の車と。当時、総勢十何人で行くわけですよ。それはもうねー、慰安旅行ですから、温泉ですから。ただし漫画を描く荷物、道具、全部持って行くんですよ。

     

―――ええ~、向こうで描くんですか?
そう。宴会やって一応食事したあと、さあって(笑)。結構僕ら(酒が)好きな方なんでね、ちょっと飲んだりして。そしたら先生、さあ、始めるぞって言って旅館のテーブル集めてそこで描いて、また先生の部屋に持って行くわけですよ。そうすると直しがあってねぇ‥‥‥ 慰安旅行なのに(笑)。

     

―――それは初めて聞きましたね、慰安旅行でも仕事して。記事にはいいネタです(笑)。
いや、いや、いや、本当にねぇ。今となっては、いい思い出というか(笑)。

     

―――連載が一番多かったころというのは、何本くらいだったのでしょう?
とにかく週刊誌2本は必ずありますよね。それに月刊誌と、あとヤングコミックは名前を変えて「マッドドッグ」‥‥‥ 何だかんだで、ものすごい量でしたよね。

     

―――先生個人でサッカーマガジンも‥‥‥
いや、当時はまだサッカーマガジンはやってないですね。でもなんだかんだで、僕が知っている限りでは、最高6本ですよね。今からいったら、考えられないですよね。朝起きて、とりあえず出てる原稿をやるわけですから、何が何だかという時もあったんだよね。また戦車出てるけどこれ何の戦車だっけ、とかって言って(笑)。だからみんなで摺り合わせするんですよ。ここでガラスが割れているから、こっちも割れてないとまずいじゃん、先生のアタリで割れてなかったりするんですよ。その摺り合わせが上手くいかないと、ガラスが次のページで割れてない。描き直さなきゃいけない。
一度、先生が自分で描いたちょっとした拳銃か何かを忘れてたんですよね。原稿をチェックしてもらった時、「誰だ!これ描いたの!」って言って。みんなアトリエ戻って、「先生じゃん!」とか言ってね。自分で忘れてるの。一回あった、そういうこと。直し!とか言ってさ(笑)。

     

―――連載が長いと日常の流れ的にもなかなか個人のスケジュールやペースなどは。
いや、もうずーっと仕事です、はい。休みがあってもどこにも行くわけにもいかないしね。お金もないし(笑)。大体、先生、仕事は夜が多いんですけど、ネーム入れて、アタリって言うんですけども、デッサンではなくてアタリの段階で、ドサッと朝起きたらデスクに積まれていたりするんですよ。で、それを描くわけですね。ただ、ひたすら。

     

―――それは役割があるんですか? 例えば先生はここまで描くから、お弟子さんの皆さんが‥‥‥
いや、先生は大体この弟子は何が得意かっていうのは全部把握してるんで、その人の得意な絵の部分を割り当てるンです。原稿の右上の方に、大木だったら「大」って書いてあるし、土山だったら「土」って書いてその弟子が描くように指示していました。

     

―――先生が指定して、この人にこれを描かせたいと。
同じページの中でも、1コマだけを「大」って指示があって、それ以外のコマを「土」って指示してあったりとか、そういうこともあります。

     

―――土山先生が得意だったというか、よく描いていたのは?
僕は戦車なんか多かったですね。割とみんな黙々と自分に与えられた仕事をやってました。

     

―――最大に仕事があるような時期って言うのは、先生お一人とお弟子さん何人でその仕事をこなされていましたか?
7人、最高で8人でした。

     

―――普通に考えると、原稿出す人が先生一人でそれを8人の人が作り上げるわけで、仕事は溜まる方なんですか?それとも先生が追いつくというか。ペース的にはどっちだったのでしょうか?
どうだったかなあ。先生の出来を待ってる時間の方が長かったような気がするけど。で、先生自分のネーム入れが終わると外出していることが多くてね(笑)。当時人間の身体は全部弟さんが描いてた。でも『マッドドッグ』だけは全部自分で描かれてたんですけどね。あと女性(笑)。

     

―――お弟子さんの時期で、ご自身のマンガを描いたのは?
さっきの増刊号でしたっけ、僕が描いたのはそこに掲載されている1本だけです。

     

―――お弟子さんというのは、どういうタイミングでご自身のマンガを描かれて、作品として出して行くチャンスがあるんですか?
独立後、僕らカエルぷろの出身者って何も用事もないのにブラブラとよくカエルぷろに遊びに行くんですよ、暇だから(笑)。そしてちょっと手伝ったりね。そんな時期に僕も「FMレコパル」で結構先生との共作もやってるんです。そんな頃、僕は本当にラッキーなことに、当時先生の担当だった編集さんが、そろそろ1本描いてみないかって言ってくれて、デビュー作を描かせてもらったんですよね。

     

―――独立時のいきさつなんかも聞いてみたいですね。
何でしょうね。みんなそれぞれあるんでしょうけど、ある日突然、「あの~、先生そろそろ独立したいんですけど」って言って‥‥‥

     

―――先生に言われたんじゃなくて?
自分から言いに行って、「ええっ!」とか驚かれたんですけど。でも、田辺さんとか見てると、まず自分の部屋を持ちたかったんですよ。たぶんそれ、あったかも知れない(笑)。

     

―――お弟子さんの時代に自分で作品を出して、売れたから独立していくわけではない?
そういう人ってのは、ほとんどいないですね。そんな時間がまずないですし固まった時間がないから、なかなか1本描くなんて出来ないですね。これも実際に聞いたのは田辺さん一人ですけども、出てから他の先生のところの手伝いアシスタントを‥‥‥。僕も実はちょっと他の先生のところに行ったというかね、請け負ったこともあるんです。そういうことはみんなしてたんじゃないかな。田辺さんは結構池上遼一さんの所に行ってたんですよね。そしたら、君の絵はうちに合わないけどって田辺さん言われて、そうですか?とか言って帰ってきたことあったって。
僕は望月あきらさんっていう「サインはV」の、あの先生の仕事をちょっと請け負ってたことがある。実際は先生の所に行って描くんじゃなくて、先生から原稿を丸ごと一本もらって、背景を全部入れるという仕事を望月先生の担当だった人が紹介してくれたんですよね。

     

―――そんな仕事をしていたんですか。
うん、してた(笑)。

     

―――知りませんでした。
担当さんが望月三起也先生と望月あきら先生の両担当で、その担当さんが引っぱってくれたんだよね。

     

―――カエルプロの中で先生から振られる仕事じゃなくて、先輩後輩間でテクニックを教えるなんてことは?
そうですね。やっぱり馨さんって弟さんがすごく火とか爆発とか水とか、もうそれはすごく上手くて、それはみんな教わってました。馨さんの描いたページだとかいうのは、相当に真似して描きました。

     

―――作画の資料というか、作画パターンの決まりなんていうのはあったのですか。
資料はすでに印刷物となっている作品群です。過去の作品を見ながら自分でイメージして描きます。ある程度先生が好きで弟子入りしてきた人間ですので、過去の作品をそれなりに読んでるわけじゃないですか。だから、あっ、このシーンと似たようなシーンが“あそこ”にあったなぁて、その作品の単行本なりを探して、あ、この感じ、この感じって、その“感じ”を自分なりに消化して現在進行原稿で描くんですよね。参考にしていたテクニックなんか、今道(英治)さんだとか、馨さんのページが多かった。今道さんてのは当然、随分昔のお弟子さんだからその当時とは絵柄は違うんだけど、インスパイアされるものがものすごく多かったんで。最初に戦車とかの作画テクニックを作った人ですよね。基本はその人なんですよ。それはびっくりしましたね。

     

―――後々聞いた話だと、ある時から先生の作画イメージが変わったのは、今道英治さんが入門してからだと。
うん。色の使いかたなんかもすごかったよね。

     

―――今道英治さんは、長い間プラモデルの箱絵なども描かれていたようですが。
うん、そう。

     

―――現在、土山先生は漫画家生活をしているわけですけども、望月先生と現在の自分において切り離せない何かありますか。
ありますね。
僕は悪役が出て来ると必ず言われるんですよ、やっぱり似てますねって。今、『喰いしん坊』って作品描いていて、“悪食三兄弟”ってキャラが出て来るんですけど、それ見た時に、これは間違いないよねって言われたもんね。
いかにもそういう‥‥‥ね。
それはどうしても手についたものはやっぱり出て来ますね。

     

     

―――そういう所で弟子の性が出て来るんですね(笑)。土山先生のあるインタビューを読ませて頂いたら、デビュー当時は望月先生のイメージを消してくれって編集にいわれたって。
そう。だってアクション物ってのは僕というよりはまず、先生の後に存在するのは田辺さんで、先生が忙しいと田辺さんに依頼が行って、田辺さんが忙しいと誰かいないかということで結構そういう依頼が来たんですよ。でね、田辺さんにはやっぱり敵わない訳ですよ。どうしても、どうひっくり返ってもね。あるエピソードがあって、僕『極道ステーキ』かなんか描いた時に手榴弾を投げるシーンがあって、田辺さんのところ行って見せたのかな、そしたらピンが外れてないんですよ。僕はそれをスタッフが描いた時、何とも思わなかったんですよ。で、田辺さんのとこ行ったら、「ジャンボお前、これピン外れてないじゃねーか」って。その時に、アクション物はやめた方がいいかなと思ってね。アクション物じゃなければ望月先生のイメージは邪魔になったんじゃないかな(笑)。

     

―――元々銃器とか兵器は詳しくなかった?
全然、詳しくないですよ、僕(笑)。

     

―――でも戦車は得意だったんですか?
うーん、やっぱり先生のとこ行ってからですねぇ。先生のとこ行ってから、銃器や新撰組は好きになった。あと落語とかね。落語大好きなんです。レコードで全集とか持ってました。先生の作品の中にはそういう落語的要素がすごくあるんですよね。ギャグの中にやっぱり落語が入っているし、一見アメリカナイズされてるけど底に流れているものはやっぱり人情というかね。長屋の世界がすっごい好きなんですよね。うどん食べたりそば食べたりね。

     

―――シェークスピアも先生かなり読んでるって感じがしますよね。ワイルドの最終章「魔像の十字路」は、これ『マクベス』?。予言者が出てきて、シェークスピアでは三人の予言者が出てくる訳ですけどこっちでは一人の予言者。「涙の森が歩く時‥‥‥」なんていう予言も、これかなり色濃くマクベスを感じさせる‥‥‥。
ホント、こういう話ししてると、時間がいくらあっても足りないですけどねぇ(笑)。
やっぱり、熊さん八つぁんの世界が好きなんですよね。
落語の話なんかも含めて色んなエッセンスが混ざってるジャンルにしてる気がしますよね。
アクションという面だとか銃だとか兵器が精密ていうのはやっぱりどうしても言われるんですけども、第一はキャラクターの魅力だったり‥‥‥。
お父さんが宮大工さんだから、職人ていうものに対してすごく何かあったと思うんです。
職人の血が流れてるんですよね。

     
     

―――なるほど。アメリカ映画やコミックからの影響と、つまりアメリカンテーストのものと、日本の熊さん八つぁんの世界との融合が、どの漫画家にも無い絶妙な混ぜ方なんですね。
やっぱり、エンジニアだとかアーティストという横文字よりは、職人という感じがすごい。
僕らの扱いだって“弟子”ですから(笑)。一度、自衛隊に銃を見に行くっていうツアーがあって先生の所に話しが来てね。僕ら仕事してたら「誰か行くか?」って言うんですよ。僕は好きだったんで「あーっ行きます!」って。あとバイキンさんとコバリと、三人が手を上げたのかな。そしたら先生がその時何て言ったと思う?参加費が「一人千円だぞ」って、その瞬間バイキンさんが手を下ろしね。で、僕とコバリの二人が連れてってもらった。そしたらウソなんだ、それ(笑)。何というか本当に好きなのかっていうことを試したというかね、そういう事ありましたね(笑)。

     

―――仕事をこなすってことではなく、技術的なものを教えるっていうのでもなくて、育て方から見ていく‥‥‥
要するに、見て感じて覚えろみたいなね。

     

―――絵に関して先生に何か言われた事ってありますか?
いや、ほとんどないですね。そう、先生は切り貼りの時もね、一切理由言いませんから。「ダメ」「はい、ダメ」って言ってね、それだけだから。「やっぱり2回目がいいな」とか言われて、どうすんだ、さっき捨てたじゃねーかとか言ってね(笑)。あの2回目がいいやってのはまるでお笑いですよ。

     

―――何がどうダメかって言われないんですか?
言わない。

     

―――どうしたらいいんですか?
自分で考える。何がダメだったんだろうって考えるんです。

     

―――何故、先生は言わないんですか?
教えられたものって忘れるんですよね、でも自分で発見して会得したものって忘れないんで、多分そういう考えだと思うんですよ。それについて行けない、三日で音をあげる人や分らない人も、当然入口としてはありますよね。決してサービス的ではないけど、ノウハウとしては一番身につくという。そこが完全に職人ですね。大工の棟梁と同じ発想(笑)。

     

―――最高何度くらい同じシーンを描き直された記憶がありますか?
僕は10回近く描いてるなあ。もう終いには何やってるかわかんなくなる。それもね、こんなちっちゃいとこなんですよ。大抵、拳銃の持ち方が悪いとか(笑)。やっぱり先生の感性に合わなかったんでしょうね。

     

―――でも10回も描いてたら、訳が分からなくなりますよね。
分からなくなります。でも結局OKが出たんだから、これでいいのかなあって(笑)。

     

―――それでは土山先生ご自身の今後の方向性などは?
このまま食漫画を続けては行きたいなとは考えています。そろそろ違ったジャンルも描いてみたいなとは思っているんですが、でもやっと見つけた「地」なもので(笑)。この食漫画にしても最初は『喧嘩ラーメン』ってやつだったんだけど、実は底辺は望月先生の「突撃ラーメン」なんですよ。

     

土山しげる「どぶ」

―――あっ、やっぱりそこからきますか(笑)
やっぱり未だに引きずってますねぇ(笑)。僕が随分以前に描いた作品でも風俗の店長を主人公にした作品『どぶ』(再版中)っていうのがあって、そのタイトルは望月先生の『どぶ』(1969年ビッグコミック掲載。単行本未収録)から拝借しちゃってるんです(笑)。ヨーロッパ戦線の話しだったかな。最後その主人公がどぶに入るんですが、自分が貧しかった過去を思い出して「どぶはいやだー」っていうのね。それがやっぱり頭にあって、『どぶ』っていいタイトルだなって思って。それは先生に内緒なの(笑)。引きずってますよね。
ホントもう、そういう話だったら一晩中でも(笑)。また集まりがあれば‥‥‥

     

―――土山先生から見て、望月先生の魅力っていうのはどんなところなのでしょうか?
これがねぇ、何かあるんですよね~(笑)。
何か分かんないですけど、何ですかねぇ。

望月三起也「どぶ」

これ一言では多分言えないと思うんですけど、結構みんな先生に集まって来るんですよ。ダメな人は当然ダメですよ、先生の性格からして(笑)。普段離れてるけど、何かあるんですよ。波長が合うのかなあ‥‥‥ 勿論、一言では言えない、魅力のある人ですよね。大変ですけど。ハハハ、最後に大変ですけどっていう(笑)

     

―――周りの人は大変?
あーそう、そう、そう。そうなんです。待ち合わせして自分が遅れる分には何ともないけど、人が遅れるとどれだけ怒るかというねー(笑)。もうわかるでしょ、それだけで。でも僕ら怒られても不思議に悪い気を持った事はないですね。不思議です(笑)。


―――やっぱり人柄なのでしょうか。サービス精神というか、すごい人柄的な大きさを感じます。
先生は自分のサイクルでしか行動しないんです。出来ないんじゃないんです。しないんですよね。「粋」なんですね。そこがすごい。

望月三起也「どぶ」

江戸っ子じゃないんだけど江戸っ子の「粋」な部分があの人に見えるっていうところがありますよね。

     

―――漫画を描く上でも同じですか?
とにかく正直な方ですから、裏表がありません。

     

―――同感です。さて、そろそろ締めに入らせていただきますが、土山先生から望月先生に何か一言いただけますか?
それはもう月並みですが、いつまでもお元気でいてください。そして新作を楽しみにしています。それ以外にありません。

     

―――お忙しい中、今日は長々とありがとうございました。貴重なお話しも多く感謝いたします。
〔インタビュー終了〕


     

資料協力:東のうさん



土山プロの皆さん、ご協力ありがとうございました!


      
      


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土山しげる 先生 【プロフィール】

石川県金沢市生まれ。大阪育ち。
大学時代に望月三起也先生に弟子入り、
73年月刊少年チャンピオンにて「ダラスの熱い日」で本格デビュー。
75年週刊少年キングにて「銀河戦士アポロン」を原作雁屋哲氏と連載、
「UFO戦士ダイアポロン」のタイトルでテレビ東京系でアニメ化される。
また映画化されシリーズ化された「借王」などもあるが、
近年は「喧嘩ラーメン」「極道ステーキ」「食キング」「喰いしん坊!」「極道めし」と
食漫画がヒット。グルメ漫画家としてその地位を築いている。




望月先生のコメント
【望月三起也先生より】

そういう事もあったねぇ。
と、懐かしく読ませてもらいました。

彼が私の人柄についての質問が一番苦手らしく、何回かのその部分のコメントが実に言いづらそう。
つまり、正直に云ったら、私ってとんでもないキャラクターとなってしまうから、
さぞ困ったことだろうと思います。上手にコメント出来るとこだけ、やってるなってカンジ。

私は自分でいうのもなんですが、我儘だし、勝手だし、集中するのは絵を描く時だけ。
あとは、注意力散漫だし、口ベタだし。
と、彼の口ごもった部分、云っちゃいましょう。

でもね、うれしいですよ。
何がって、ウチから一人前の漫画家が出てくれたってのが何より、誇りですよ。
うちに縁があった人は皆プロになってほしい。だから、キビシク接します。
しかし、才能はあっても、人との出会いや、努力に少し欠けてるとかで、必ずしもプロになれないのがこの世界。彼の場合、何よりも、才能以上にマジメ。
ただひたすら真正面向いて歩くところが成功したと思うのです。
これは田辺節男にも云えることですが、“歩く”。駆けないのです。
あせって駆けて失敗した弟子も又、何人もいるのです。
弟子になって三年は辛抱しなさいと教えます。三年間は、私がクロと云えばシロもクロが正しいのです。
長年キャリア積んだ人間は、ノウハウ持ってます。
これからの人は、自信はあっても時には過信だって事に気付いてない。それはキャリアがないからなんです。
だから、個性と思ってることも、ただのクセ。ここを素直なマッ白な状態にして日々積み上げていく。
それが三年、三年は基礎です。
その上に自分の持ってるものを積み上げて、はじめてプロになるわけで、
その三年地道に出来た人が将来あるというのが私の考えなのです。

と、仕事に関してはガンコに曲げませんが、
こと遊びに関しては、弟子というより兄弟も同然ですから、よく一緒にバカもやりました。
ジャンボに関しては、つらい思い出になったかもって遊びにも付き合わせたりね。
それは、台風の日にヨット遊び、五人乗りのかなり大きめの船、風で動くヨットですから、
風が強ければ速い。マリーナから出航する時、管理の係から念をおされました。
今日は他にだれも出てないよ。こんな悪天候だから、沈(チン)する可能性も低くはない。
ひっくり返っても救命するのに20分はかかる。その間、浮いてりゃいいが、と、命がけの遊びですよね。
でも休みは、この日、この時しかない。マリーナまで来て、荒れた海を見て帰れるかって、出航ですよ。
ヨットは、乗り組みした全員が身体でバランスをとるのです。
つまり帆の傾く反対側へ海面に身体を乗り出し帆綱を引っ張る。
これがジャンボには生れてはじめてで、出来ない。その上、あの百キロ近い巨体。
しょうがない、彼一人だけ船体の中央で座らせ、ほとんど“おもり”状態。
出航するや、船体は90度近く傾く強風、帆を半分だけたたんでも、まぁ波の上を飛ぶように走る。
ほとんどスピードレース状態。
そのうち波が船内へたまりはじめ、真ん中に座ってるジャンボの腹のあたりまでたまってくる。
ジャンボ、真っ青。
これ以上、水がたまったら沈(チン)するキケンがあるって判断で帰港しましたが、
私は気分上々、このスピード感、たまらないねぇとご機嫌。
ジャンボ、無言。あとで聞いたら、死ぬかと思ったって。悪い師匠ですねぇ。
何でも経験しておく事はネタになり、リアルなものが描けると思ってる私ですから、
つきあう方は、たまったもんじゃないかもね。

そのあたり、私の人柄に対しての口ごもったようなコメントになって現れたのだと思います。
弟子の部分も手伝えるようになるとアシの部分が多くなる。助っ人として優秀でしたね。
ジャンボは、元々細かい線に秀でた部分がありました。
そこを長所としてのばして、かなりムリな難しい注文つけて絵を描かせましたが、
特にその良さ発揮したのが「俺の新選組」。
この背景の中でも雨の中、馬で駆けるシーンは、いまだ印象に残ってます。
タテ線で、雨にけぶる建物の表現、彼の良さ、最大に発揮したもの。私でも描けないね。
「俺の新選組」の成功は、半分は彼の手柄でしょう。

     

2009 年 4 月 1 日   固定リンク   |   トラックバック(1)


コメント/トラックバック

  • yama :
    土山先生の作品で、冒険王で連載していた「ひょうたん」というものがあったと思うのですが。。。

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