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コラム:言いたい放題

第41回

喰い道楽、京都へ行く

執筆者:   2012 年 2 月 11 日

京都に行って来ました。
三ヶ月前は取材で「ワイルド7 R」の舞台として、カメラを片手にわき目もふらず南禅寺、蹴上、疎水跡と、その一ヶ月前には三十三間堂と二回も取材ってのは初めて。
思い起こせば京都取材の作品っていつも気合いの入ったモノで「ダンダラ新選組」「俺の新選組」と、この二作も一泊二日で担当者さんと弟子との三人づれでした。そのうちの一回に当時うちに居た土山しげる“君”が行ってるんですねえ。あれから何年たったか、また同行したのは土山しげる“先生”なんですねえ。

今回は取材はゼロ、なんにもしません。ただひたすらうまいモノを喰う!!
なのに担当の編集さんがなぜか同行? それというのもご苦労様、お疲れ様の意味で、さる会社が連れてってくれたってわけ。

目的のお店は「近又」、京懐石の店。ここへ最初に行ったのは30年前になるでしょうか。
京、錦市場に近い市場へ買い物に行ったおり、趣のある町屋を発見。
そこに「近又」という屋号ののれん。ここなら絶対うまいものが喰える!!と、食い意地の張ったカンで飛び込んだのです。
その時の鯛のかしらの焼ものの美味しかったこと。今だに“日本一”だと信じてます。
その折、他の料理はほとんど記憶にない・・・ただひたすら鯛、それもこれ一品で腹一杯ってくらい大きいんですねえ。
それをシンプルに醤油ダレつけて炭火で焼いただけってシロモノ。実はそのシンプルさの中にこだわりがあったんですねえ。
この店は江戸時代享和元年(1801年)創業って、200年も続いているところはまさに京都。
その七代目にあたる現在の主人自ら鯛を焼く時は、じっくり時間をかけその場から離れず、うまみを中に閉じ込める作業に眼をすえて離さないって気合いの入れ方なんだ。そう、そのタレもまた秘伝だとか。その気合いの入り方が「美味」になって、客の前に登場するんでしょうね。

で、昨年の取材時にもこのお店へ足を運んだのですが、残念ながら鯛は口にできず普通の懐石料理だったので、「来年こそ“鯛”と予約を入れて来る」とご主人と約束。
このご主人、喰いもの談義になると、まあ、語るんですねえ・・・座敷へ座り込んでね。そこがまたここの魅力。
女将も話好きで、料理がさらに美味しくなる語りなんですね。
他に板さん三人という、ほとんど家族で商っているってとこが良いのかと。そのうえこの町屋、なんと国の有形文化財なんです。
どうりでひと部屋づつ天井、ふすまに丸窓細工がほどこされ、さらに小さな庭がまた風情を持って、そのせまい空間に鴨川を現すって大きな造り。
そのうえ賑やかな四条通りから50メートルと離れていないのにほとんど無音、なんという静かさ。これが本物の町屋造りなんですねえ。
日本伝統の造りと魚のつくり、両方共一流。さすが京都ってあらためて感動!まさに食い道楽の天国。

さあて、一緒に行った土山“先生”私以上に感動。
「料理でさらに酒がうまくなる!!」ってうらやましい。私、一滴も飲めませんから・・・
さらに鯛なんか皮も身も残さず、見事骨だけ皿の上に残すって芸術的にたいらげる、まさに舌鼓を打つって食べ方。
やっぱり喰うこと好きなんだねえ。仕事もまさに天職。
そのうえ次々運ばれてくる料理の器がその一品をひきたてるように色も形もこだわってくる。
それを彼は「ほう、これは伊万里の蒸茶碗ですね」とか女将さんに言うのですよ。で、「うちの主人は器は趣味で古いものを見つけると買ってきちゃって使うんですよ。この古伊万里とか清水焼きとか」と。
立派!!さすが食の巨匠に育ったと実感ですよ。私はもっぱら腹の中へおさめる方に夢中ですから・・・歯が丈夫でも皿は喰えないしネ。

今日は「一品絶品風」になってしまいましたが、おすすめというより自分の感動を伝えたかったというとこで、さらに言えば40数年前に大学生が「弟子になりたい」と訪ねてきて、いまや立派な絵描きに育ってその節目の京都行きってとこが、人生いいなあって思わせたんだと思います。



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