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コラム:言いたい放題

第49回

ありがとう!FUKUSHIMA

執筆者:   2012 年 10 月 1 日

行って参りました、福島県。
予てよりファンのみなさんと共同で、東北を支援、仮設住宅居住者などの足として使ってもらう電動アシスト自転車(ヤマハ)をお贈りさせていただきました。東北の背中押し隊企画第一弾です
Jリーグ 横浜FC vs 徳島ヴォルティス戦の前座試合「ザ・ミイラ vs SWERVES」戦ハーフタイムを利用して、福島県サッカー協会へ寄贈させていただくというセレモニー、これを友人でもある福島県サッカー協会の小川則雄さんが手配してくれました。
その場で窓口の福島県サッカー協会から、各仮設住宅代表の方々に受け取っていただくというセレモニー、雨のひた降る中でしたが、試合観戦に訪れてくれた数千人のサッカーファンのみなさんの暖かい拍手と歓声の中、無事に執り行うことができました。
また当日は諸処細かな打ち合わせに、ヤマハ発動機の田部圭史郎さんと共にこのコラム担当のアスカくんが朝早くから新幹線で駆けつけてくれ、その熱意に感謝!
さらに快く色々な手続き等、捌いてくれた前出の小川則雄さん、セレモニーの場を与えてくれたJリーグ横浜FCの奥寺康彦取締役会長兼任ゼネラルマネージャーには、改めてお礼を。

私にとって奥寺会長は、会長というより、かつてブンデスリーガヴェルダー・ブレーメン』で10年活躍した“オク”として、前座試合のザ・ミイラのバックス・ポジションで参加してくれました。今でも正確なロングパスはさすが。
今はバックスとは言わずディフェンスですが、私としてはオクはあくまで“バックス”なんですよ。
オクのドイツでの最初チーム、FCケルン。ここへも私、行きました。森の中の練習場とクラブハウスで、オクに昼飯奢って貰うという図々しいことも懐かしい思い出。それは古い付き合いで、国内ではJリーグ発足以前の日本リーグ時代、古河電工ってチームの選手だったときからの関係です。
ヴェルダー・ブレーメンへ移籍したあとも、年に一度は一ヶ月仕事を休んで出掛けていたもんです。
今でこそブンデスリーガは大勢の日本人選手が活躍していますが、当時は少なかったなァ。現在川崎フロンターレの監督やってる風間八宏、他に尾崎加寿夫といったところでしょうか。

そのブレーメンとはオクのお陰で親切にして貰ったもんです。
こういったプロチームはシーズン以外に2部~3部といった地方の町チームとも遠征して試合をします。はっきり言えば出稼ぎですね。そんなときは一台のバスで移動するわけで、部外者は絶対同乗禁止なんですが、これまたオクのお陰、一日同行取材が出来たんですよ。
四時間ほどバスに揺られ地方へ行く。
こういった時のため、バス後部はラウンジ風に造られていて、大概は4~5人が車座になってトランプなどに夢中になってる。バスだけにね。
他には寝る者、読書をする者と色々ですが、監督とゼネラルマネージャーだけが、なんつーてンのかはドイツ語だから判んないけど、少し離れた席で真剣な顔つき合わせてミーティングを続けているのを見て、幹部にとっては親善試合だろうと選手チェックの場。この普段からの真面目さがブンデスリーガ上位チームとして存在できる所以なんだろうなァと、誠に貴重な体験をさせてもらいました。
香川真司はイングランドへと行ってしまいましたが、残る日本人ブンデスリーガ勢もリーグ戦以外は、こんなバスツアーをやってるんだろうなァと想像してます。
ちなみに、地方の4部リーグチーム相手の試合ですと20点近く点を獲っちゃう試合も珍しくない。しかし必ず1点は相手に獲らせるのです。この風習ってのも伝統のおもしろさですねぇ。
キッカー(Kicker Sportmagazin)というドイツのタブロイド版のスポーツ新聞などには、こういう試合ですら各チーム分、全スコアが載るのですよ。そこら辺がヨーロッパでのサッカーに位置、判りますね。もう生活の一部なんですよ。

・・・・・と、ついサッカー談だと話がながくなる、イカン!

今回の福島に続き、東北支援はまだまだ続けます。
関係者のみなさま、ファンのみなさま、応援よろしく!!











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