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望月マニ也

第80回

「ワイルドセブン」への思い
~いま振り返ってみて

執筆者:   2014 年 12 月 9 日

久し振りの登場となるぐりゅーん・へるつさん。相変わらずそのファン度の深さはかなりのもので、望月三起也海の深海魚か?(^o^)

gh_tittle作品を読んだ時代、年齢によって心に残る部分が異なる。読み返すたびに新しい発見がある・・・。僕にとって「ワイルドセブン」はまさにそのような作品です。

初めて「ワイルドセブン」に出会ったのは小学校低学年時代に放映していたテレビ番組で、その後原作コミックを友人たちと貸し借りして読んでいました。当時惹かれたのは、両国と彼のサイドカー。ロケットランチャー(迫撃砲なのでしょうか?)の派手なアクションと、子供にも親しみやすいキャラクターが魅力的で、飛葉ちゃんやヘボピーとの掛け合いがとても楽しかったと記憶しています。

その後、中学生時代に再び「ワイルドセブン」にハマることになります。
友人たちとともにモデルガンやバイク、ミリタリーのプラモに熱中しだした時期なので、友人を介してそうした要素が満載の本作に「再会」したのだと思いますが、思春期真っ盛りのこの時期、惹かれたのはむしろ、「人間社会のリアリティ」を描いた部分でした。

「野性の七人」では、大岩雷太が「1時間10分」で釈放されるくだりや、遠井弁護士の「大先生が政治工作で事件をもみ消すのに必要な時間が24時間」というセリフが印象的でした。この具体的な「時間」が何とも憎たらしいのですが、正義をねじ曲げる「政治工作」という概念が中1には大きな驚きでした。
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いま「野性の七人」を読み返すと、全体の構成の見事さ(流れるようなストーリー展開)に感心するし、冒頭のギャングとのバトルシーンでギャング側が一発も発砲せず主人公側が「先制攻撃」をしかけていること(「アンチヒーローもの」という作品テーマの提示)、一仕事終えるまで主人公の飛葉がゴーグルを外さず素顔が分からないことの効果(「7の字」のところで素顔がありますが・・・)に感心します。まるで、その後ブームになった変身ヒーローみたいですね。

gh_03「バイク騎士事件」では、「人間は所詮、原始的暴力には弱いものよ」というセリフがリアルで怖かったです。「原始的暴力」とは平たく言うと「痛み」とそれによって生じる「恐怖」だと思うのですが、普通の人間はそれに打ち克つことはできません。強い「信念」や「正義感」を持っていない限り・・・。暴力に立ち向かう飛葉の姿勢は最高にカッコ良く、シビレました。

格闘技のプロ相手に、飛葉が「こっちは格闘技の素人。これで互角だ!」とウッズマンを撃ちまくるくだりは今読んでも実に面白いです。ここで主人公がスーパーヒーローのごとく素手でレスラーたちをブチのめしたりすると、「暴力」が記号的になり「痛み」や「恐怖」という本質部分がぼやけてしまう気がします。望月先生は「暴力」が記号的にならないように配慮されているのだなぁ、と感じます。

「テレビによる大衆のマインドコントロール」という概念は、この作品で初めて得たもので、これ以降メディアに対する見方が変わりました。政治とメディアの関係は後の「魔像の十字路」でも取り上げられ、先生も関心が高いテーマだったのではないかと推察します。

gh_03_4「地獄の神話」では、以前に投稿した内容とも重複しますが、テルが追い込まれるくだりと、神話兄弟の次男・元次郎が兄から見捨てられるくだりに衝撃を受けました。
テルは頭が切れるし、サッカーという共通項もあるというのに、草波はなぜ彼を冷遇するのか?元次郎も似た境遇で、兄は出来の悪い三男ばかりを可愛がっている。2人とも十分に努力しているはずなのに報われません。何とも理不尽。しかし、これが「社会」なのか・・と戦慄を覚えたものです。

「ガラスの城」は、生き馬の目を抜くような芸能界が舞台です。中学生時代時代の僕にとって、まだ見ぬ「大人の世界」を垣間みているような気がして、とりわけ印象深い作品でした。
使命のためにワガママ・アイドルのボディガード役を耐えに耐える、飛葉。彼を任務に踏みとどまらせているのは隊長・草波の任務への「本気度」ですが、この「使命のために耐える」という姿勢、「時には耐えることの方が殴り込みより男らしいことなのだ」というセリフ、あるいはひたすら献身的なマネージャー氏の行動など、これもある種の「男の美学」なんだな、と感銘を受けました。
次作の「俺の新選組」にも引き継がれますが、この「美学」には今でも心酔していて、自分の中で血肉化しています。仕事にもかなり役立っていると思います(笑)。
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gh_05「魔像の十字路」では、若い読者に向けたと思われる教訓的なセリフが印象に残っています。
「走行中地震が起きた時は、道路左脇へ寄せて停止、キーは付けっぱなしで乗員だけ避難する」とか、密漁するダイバーに対して漁業者が「お前らドロボーと同じだ」と叫んだり。
こうした話は教師や親など大人から聴かされるより、人気漫画の劇中でキャラクターが語った方が、若い読者の印象には残るものです。青少年の読者を意識した望月先生の暖かい視線を感じます。


gh_06「魔像の十字路」は、敵側の動きがなかなかハッキリ見えず、そのことが「秘熊一派の勢力拡大=抗しようのない社会の趨勢」といったムード、独特の重苦しい空気を生んでいると思いますが、もし敵側の描写を綿密に行った場合、読まれ方によっては「扇秘書のサクセスストーリー」となってしまう可能性があり、そうなると、少年読者が「悪のサクセスストーリー=カッコいい!」的な読み方をして先生が大変困惑されたという「ジャパッシュ」と同じ現象が起きてしまう。それを避けるために敵側の描写が少なかったのではないでしょうか?
巨匠と呼ばれる漫画家の中にも、少年少女向け雑誌なのに若い読者を意識しているとは思えない作品、「受ければいいや」的な作品、自身の内面の葛藤をそのまま原稿に叩き付けたような作品を(無責任に)描かれる方もいます。

それに対して望月先生は、常に作品から一定の距離を保ち、受け手を意識して作品を描かれているように思います。本当の「大人」であり、まさに「先生」と呼べる方なんだと思います。

多感な時期に「ワイルドセブン」を始めとする先生の作品に出会えて本当に良かったです。ありがとうございました。これからも新作に期待しています。



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望月先生のコメント
【望月三起也先生より】
ホメすぎです!!
本人、ネタ練りより早くペンを持ちたいタイプ。頭の中に熱いものがあるうちに紙に写し取りたいンです。うっかり練り掛かると、それよりこっち、いや、更に・・・・ と、べっこう飴状態になっちまう。早く刻みに掛からないとカチカチで包丁の刃もたたないって場面ですから。

キャラクターに現実感を与えることができると、台詞も素直にその人物を表すンです。だからとても大事なことで、絵で顔は描き分けられても台詞が一緒じゃ個性をつけたことにはならない。それじゃロボット集団ですよ。若き日の私は、そんなところにも拘ってンですね。
筋立て作りも楽しいンですけど、登場人物が生き生きと描けたときって、自分の空想世界が現実味帯びて実に楽しいんです。
それを読者も共に楽しんでくれているって、ぐりゅーんへるつさんの感想からも感じられて、そういうときの作者は幸せに浸れるンですね。なにしろ私、本当に趣味が漫画ってくらいで、職業は漫画家って言えるかどうかって人間。今、これがウケてるからとか、ウケれば何でも描く。読者を喜ばせるのが先、自分の主義も主張もなしって、職業意識が薄いンでしょうねぇ。

具体的には若き日、編集者によく勧められたのが野球漫画。「ウケますよォ、保証します」と。でも無理なんだなァ、野球チームの名前はジャイアンツとタイガースしか知らないし、選手名も王、長嶋以外判りませんって野球音痴。「だから面白いもの、描けるンですよ」と編集さん。漫画は知らないことがあると工夫して描くからいいンですと。でもそのあたり、私の意図する漫画じゃないンですよねぇ。
更には原作付きのお勧め。理由がいいね。「ストーリーを考える時間が要らないから、2倍絵が描ける、2倍儲かるでしょ」って。
そういったお勧めしてくれた漫画家先生もいたけれど、あんたは稼ぎ中心でも私はストーリー立てが好き、読者をアッと言わせる筋立て思いついたときの楽しさったらないね。そういう楽しみを原作者ってヒトに奪われたくないってことなんですよ。
“カジワラ”ってヒトとか、“コイケ”ってヒトを原作者として組めば大ヒット間違いない!と、そういう話、何度か持ち込まれましたけど、ことごとくお断りしてきました。
コイケさんには直接会って話をしました。お互い強情だし、きっと2、3回目には意見がぶつかるね、作画、作品に一歩も引かないところがあるものね。お互いいいファンでいましょうって話をしたのもそんな頃だったかな。
ぐりゅーんさんの言われる“大人”じゃないンです、趣味人なんですよ。

また、教訓的な台詞もさり気なく取り込む意識をしています。
私は人生の先輩なんですから、良いことは後輩に伝える義務がある。それもさり気なくね。押しつけはいけません。だからといって「今の若い者は・・・・・」と、酒飲みながら零すオヤジにはなりたくない。堂々と若い者に説教したらいいンじゃない?と、思うのですよ。
人はぶつかることでより深く相手を理解できることも少なくないンです。影で零すのは男らしくないよねぇ。

どうも私って、一生角の立つ人間のようで、今さらこの一本気直りそうもない。漫画家やってなけりゃ他の職、三日ともたないでしょう。
そういう私を支えてくださっている読者に改めて、この歳の瀬に感謝!



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コメント/トラックバック

  • エヌワイ :
    ぐりゅーん・へるつさんの『「ワイルドセブン」への思い』、
    納得しながら読ませてもらいました。
    特に“「暴力」が記号的にならないように配慮されているのだなぁ”という件には、思わずうなずいてしまいました。

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