第2回も私が担当させていただくこととなってしまった‥‥‥
「えぇ~、もういいよ」とソッポを向く御仁も居るやもしれない。
実のところ私自身も「えぇ~、聞いてないよ~」だったのだが、
頼まれ引き受けてしまったからには、「ンじゃ、やっぺ」ということで。
どうぞ少しのお時間、
私の駄文にお付き合いをいただければ‥‥‥私が喜びますので(笑)
では『夜明けのマッキー』‥‥‥
実はこの作品、軽く解説できるような作品ではない。作品の持つそのテーマは重いなんてものじゃない。
重すぎて、私ァ今 肩にズッシリと重圧を感じている。
この「夜明けのマッキー」は少年サンデー誌上に於いて、1970年21号から同年52号に渡って連載され、絶賛された。
時はベトナム戦争(1959年~1975年)によって、当事国のベトナム、米国、ソビエト(現ロシア)だけではなく、世界が疲弊しベトナム症候群として病んでいた時代。
前後してあらゆるメディアからベトナムを描いたものが制作、出版された。
大半がその反戦を訴えるものでストレートにベトナムを表現し、平和を謳うものが多かった。
(中にはちょっと気色を変えた、五木寛之氏の「海を見ていたジョニー」などという傑作小説もあったが)
その中に於いて望月先生は、数多くの戦記物を描いてきたにも係わらず、ベトナムを描いたものは一作とないのだ。
先生はベトナムを描くことなく、ベトナムに見られる戦場の悲惨を描ききった。
それが『夜明けのマッキー』。
戦争とは一体なんなのか。 人の死とは一体どういうことなのか。
人としての尊厳の在り方とはどういうものなのか。
真の和の形とはどういうものなのか‥‥‥
主人公は敵と銃弾の遣り取りをすることなく、見事なまでに争いの愚かさを描ききった。
遅くなったがここで簡単に物語のあらましを記しておこう。
人気の絶頂にあった婦人科(グラビア)カメラマンであった『麻樹』は、現状ぬるま湯に浸かってる感覚から脱出する事を目的として、内戦の戦火燃えるアフリカの一国に戦場カメラマンとして身を委ねる。
そこには『牙』と名乗る”外人部隊”が展開しており、戦いは悲惨を呈していた。
麻樹のヒューマニズムは、この戦いを世界に告発し、戦争自体を終結させるのだと決意する。
しかし、より残酷なシーンを撮ることがその目的を達成できるのだと思い込む麻樹は、ある分隊の指揮官に迫る危機を黙殺、死の瞬間をフイルムに焼き付ける事ができたが、その良心の呵責に耐えかね、記憶を失ってしまう
一方、麻樹の送ってくる写真で大収益の国内出版社は、ここで麻樹が亡き者になってしまえばピークは下ることなく爆発すると画策する。
そのころ麻樹の従軍する『牙』には、難航不落の敵要塞攻略命令が下り、”幻の49人部隊”と呼ばれる援軍が着任する。
早速戦局を左右する戦いが繰り広げられる敵要塞が構築されているライオン台地。
そこで記憶の戻った麻樹が目にしたものは‥‥‥
そして薄暗い政情の変化により
『牙』と麻樹に最悪の危機が迫ってきていた‥‥‥
そう、主人公はそれまでのような悪を打ち砕く正義のヒーローではない。
一介の戦場カメラマン。
銃の代わりにカメラという武器を携えたマッキー(麻樹)が、自らの”心”を求めてやって来たアフリカのある紛争地に於いて、真の人としての真理を見つけ出すまでをテンポのよい物語り展開でありながらもつぶさに描写していく。
外人部隊という雑多な国籍と多人種という庸兵集団(雇われ兵士)の中で、彼はいったい何を見、何を感じたか。
これまでの望月漫画とは異質かとも思えるほどの心のひだが細かく描写されていく。
それはまるでシュールリアリズムの天才画家『サルバドール・ダリ』を彷彿とさせる見事なタッチ、画風で表現されていくのだ。
未見の方、この部分はぜひともご覧になっていただきたい。
物語の中核をなす重要な場面、読者の心理とマッキーの心がシンクロして総ての読者に等しく訴えかけてくる。
前記したように早い物語り展開と止まることのない流れる構図とコマ割りで、つい見過ごされがちなところが、ネームの流れとそのフキダシの配置である。実はこの作品、いつにも増してネームが多い。ネームとは業界用語で「台詞」のことだと思っていただいていい。
このネームの量が半端ではない。
結構読ませられているのだが、それをまったく感じさせないのだ。
先生の他作品でもそうなのだが、この流れるように目と脳に入ってくるネーム(フキダシ)や描き文字の配置テクニックによって、ストーリー自体の流れを「読む」行為によって殺がれることは全くない。
そのテクニックの集大成のような作品が、この『夜明けのマッキー』だと私は感じている。
フキダシの配置のなんと絶妙なことか。
構図、構成も凝りに凝ったものでマニアックな漫画ファンにも絶賛されることとなった。
だからと言って望月漫画の最大の持ち味であるアクションに陰りがある訳ではない。
いつも以上に精緻に描き込みの行われた”絵”は、より一層の迫力とリアリティを持って読者に迫ってくる。これは当時、少年漫画雑誌の中では比較的印刷状態の良い「少年サンデー(小学館)」掲載だったことと無縁ではないと思われる。
他出版社に比べて細部まで描き込んでも、印刷に充分な再現力があった為だ。
爆発シーンなどはどこを見てもそのリアリティは素晴らしい、特にまたジャングルなどの描写は奥行きがあり感嘆したものだ。
総てが相乗効果となり、より一層重厚な作品を構築していく。
M3軽戦車、クリスティー軽戦車、M13-40軽戦車、テトラーク軽戦車など武器兵器類も見事に再現されている。特にガンマニアである私は当時イギリス、カナダで軍の正式採用とされていたベルギーの銃器メーカー「FN社」が開発した『FAL』と呼ばれたアサルトライフルがメイン火器として描かれていることに驚いた。
なぜなら当時まだ国内ではそれほど知られていないこともあったが、その細かな資料は殆んど入手できなかったにも係わらず、見事に描き込まれていた。
大好きな銃になった‥‥‥ 単純である(笑)
戦場カメラマンの祖とまで言われ、写真家集団「マグナム」の創設者『ロバート・キャパ』。
はたまたピューリッツァー賞を受賞した日本の戦場カメラマン『沢田教一』を想い起こさせるマッキーの存在。
望月先生の着眼点の確かさと素晴らしさ、その作品完成度に私は何度読み返し、幾度涙を流したかしれない。先生の最高傑作のひとつであることは疑いようの無い事実に、私は都合5セットほど購入をしている。
友人達に”配布”するためである。
いいものを人に勧める。当然のことである(笑)。 お節介の押し売りだが‥‥‥(笑)
そしてそして、物語のラストが例えようもなく素晴らしい。
荒廃した大地に於いて芽生えた友情を携えて、マッキーは仲間と歩く。
一時期隆盛をみた「アメリカンニューシネマ」と呼ばれた一連の映画のような長く長く余韻を引くラスト。「イージーライダー」「明日に向って撃て」そして「バニシングポイント」などを想い起こさせる。
そこには眩しいほどの夜明けの光が描写される。
マッキーに夜明けがやってくる。
それはマッキーの人としての夜明けであり、人類の未来への夜明けだったのかもしれない。
しかし哀しいことに21世紀の現在にあっても、ご存知のように世界の至る所で紛争は続いている。世界が既に情報を共有する時代であっても、同じ方向を見つめることがいかに難しいことなのかを実感せざるを得ない。
先生の願った真の夜明けは、まだ遠い‥‥‥‥‥‥
余談‥‥‥
これは書こうか書くまいか、悩んだのだが書くこととした。(笑)
作品中「マッキー」が使用するカメラは、「ペンタックス」。
連載スタート当初はカタログを参考に描いていたとお聞きしている。
が、この作品を目にした「旭光学工業」(現ペンタックス株式会社)が、
細かくディティールを描き込まれた作品に感激して、
先生に一眼レフカメラのセットを贈呈したというエピソードが残っている。
うう~ん、描くもんなんだぁ~な(爆)
私の作品は、テーマが先!!
ワイルドなら、「悪い奴は法を超えても始末すべきだ」って過激なテーマと同時に、背中をお互いがカヴァーできる、信頼できる友、男の死に様。だったりして、これを読者に酌みとってほしいわけなんです。
マッキーの場合、ぬるま湯からの脱出。
それがテーマ。
今、キミは、だらしない生活送ってないかい?ぬるま湯に浸かってないかい?
明日に向かってキビシイシャワーあびなさい、といったこと。これを主人公にやらせるわけなんです。
話は極端ですが、いきなり命がけの海外の戦場カメラマン目指す。
誰でも出来ることじゃない。
でもトライはしてほしいのだよ。ファンの方々、自分の生き方、もう一度見つめ直して激しく生きてほしい。この作品を見て、そう見つめ直してくれる人が何人かでもいたら、大成功なんです。
もちろんマンガです。
楽しく読んでもらうのが一番、その底を流れてるテーマ、吸い上げてくれたら作者にとって一番うれしいわけ、と思い、連載終わって十何年かのち、あるパーティーでカメラマンの方にお会いしました。
なんと、マッキーを読んで今の職業へすすんだとか。
「ぬるま湯からの脱出」をしたとおっしゃる。うれしかったですねぇ。
こういう時、たかがマンガ、されどマンガ、ひとの人生に影響を与えられたなんて、うれしいですね。
マンガ家やってて良かったと思うのは、こういう時です。
まぁ、この作品も、私の銃器マニアというか・・・、戦争オタクというか・・・、そういう部分が多分に出て、マニアックだと思いますが、アフリカという舞台が新鮮で、調べモノも多く苦労もありましたが、楽しい苦労でした。
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2009/09/13 at 9:38 PM
2019/11/24 at 3:55 AM
これが、人生で最初に読んだストーリー漫画でした。
最も衝撃的だったのは、政府軍ヘリボーン部隊のライオン台地での交戦場面。
地下要塞からの反乱軍の猛攻と罠爆弾で次々に倒れる兵士たち。爆発で人体が千切れ飛ぶカットは、当時6歳の自分のトラウマになりました。
外人部隊は苦闘の末、同台地を占領。
それにより、もたらされた内戦終結。
しかし、そこには恐ろしい裏が。
政府と反乱軍が、和平条件として交わした密約。
それは外人部隊牙の皆殺し。
これが、2番目の衝撃でした。
移動を控えた牙車列に、襲い掛かる突然の空襲。
数人を除き、牙は全滅。
終盤で、部隊の軍医が実は指揮官だったことが判明。
彼の発案による脱出計画が告げられ、それに従う兵士たち。無傷で残った戦車に乗り込むと見せかけ、それを爆破。
その混乱に乗じて、包囲を突破するという目論見。
捕えての嬲り殺しを選ぶであろう敵心理を逆手に取った作戦が決行される。
立て籠もっていた地下を出て、敵の目前へ進み出る牙の残存兵たち。
「もし生き残れたら、何をする?」そんな問いが、男たちの間で交わされる。
ある者は、自国に戻り慎ましく暮らして平和をかみしめると答えた。
マッキーは、またアフリカに来るつもりと語る。
自分を敵視していた副官(怯えで足がもつれる)に肩を貸しながら。
そんな男たちを、地平線から射す夜明けの光が照らし始めた
マッキーと牙兵士たちのその後は、オープンエンドとして、読者の想像に預けられる。
明確な結論が引かれないまま、物語は終わる。
このシュールなエンディングが心に残り、47年間記憶に残っています。