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土山しげる先生 ジャンボインタビュー!(前編)

秋の気配が佇み始めた頃、
私たち「月刊 望月三起也」事務局は望月三起也先生のお弟子さんのお一人であり、デビュー35年を迎えられ現在複数の連載をお持ちになる『土山しげる』先生(通称ジャンボさん)へインタビューの機会を得る事ができた。
土山先生の仕事場のある最寄り駅に降り立ち、電話で到着を告げると近くまで迎えに出てくれると言う。
忙中そんなことまでと、この時点ですでに土山先生のお人柄に触れ感動していた私たち一行。

さて、土山先生の仕事場内にある居間に於いて、オドオドとインタビューをスタートさせた‥‥‥
     
     

―――ではまず、土山先生と漫画との出会いというものは、どのようなものだったのでしょうか?
漫画は幼い頃から好きだったのですが、実は漫画を買う、読むなどの行為は怒られるという家庭環境だったのです。でもお正月に限っては買って貰えたのですよ。「少年」とか「冒険王」とか、新年特大号ですね。

     

―――15大付録とかが売りだった月刊漫画誌ですね。
そうそう、それも楽しみでね(笑)

     

―――当時もたくさんあった作品の中から、なぜ望月先生だったのでしょうか?
うん、『秘密探偵JA』を見たときに凄い衝撃を受けて‥‥‥ その時はもう中学生だったのかな、それから先生の作品を探しまくりましたね。戦争物とかが多くて読む都度にハマッていきましたね。こんなに漫画が動くものなのか、絶えず変化していく構図に驚きました、衝撃でした。詳しく語ってくれと言われても難しいなぁ、男と女の関係みたいに(爆笑)

     

―――その漫画少年、望月三起也ファンが先生と接触、弟子入りする経緯とは?
大学入学後も好きで漫画を描いていた訳だけど、別にどこかへ投稿する訳でもなかったんですね、でもやっぱり溜まってくれば誰かに観て貰いたいって気持ちにもなる訳で。そこで望月先生に葉書を書いたのです。これこれこう言う者ですが、作品を観て貰えませんかとね。そうしたら、いついつ持って来てくれませんかって返事があってね。今から考えると先生がそんなに細かい事までする訳はないので、先生ご自身ではなくて、多分弟さんあたりがくれた返事だと思うんですよ。(笑)そこで早速持ち込んだンですけど、その時は「うう~ん、うち(カエルぷろ)じゃないなぁ」って言われてね(笑)、実は僕「真崎 守」さんっていう漫画家先生の大ファンでもあって、当時は真崎先生のタッチを真似ていたのね。で「君は真崎さんとこだね」なんて言われてその日は帰ったのですけど、その日の夜に先生から電話が掛かってきて「もし良かったらうちに来ないか」って(笑)。もう二つ返事で
お世話になる事を決めて、すぐ大学に休学届けを出しましたよ。

     

―――退学ではなく休学だった?
うん、とりあえず大学に帰るつもりはあったのね。親に内緒だったし(笑)

     

―――望月先生の第一印象はどんな感じでしたか?
その頃はまだ先生は30歳前半だったのですが、とにかくバイタリティーの塊って印象でしたね。それから今でもそうなんですけど、まったく裏表ががないっていうか。今もってその印象は変わっていませんね。

     

―――初めてプロの原稿を見たときの印象ってなにかありますか?
ええ‥‥‥ はっきり覚えていますよ(笑)。 
プロの原稿を触れるってのが嬉しかったなぁ。初めての生活に夢中でしたよ。38年も前のことですけどね(笑)

     

―――入門して始めてお仕事で描いた作品、ページはどこだったのでしょう?
あれは『突撃ラーメン』だったなぁ。スープを入れる鍋を描かせて貰ったのが最初で、なんと丸一日掛けて描いたよ(笑)
田辺(節雄)さんが見開きページを描いていて‥‥‥ 
凄かったなぁ。


―――カエルぷろでは、弟子に与えられているペン先が他所ではあまり使われていない「日本字ペン」という独特なペン先を使われていましたが、それを初めて使われたときの感触はいかがでしたか?
そうそう、あの硬いペン先のペンだよね。僕はあまり気にならなかったな。「こういうものだ」って割り切ってたしね。 現在僕はゼブラのGペンを使ってますけどね。

     

―――内弟子としての環境というのはどんなものだったのでしょうか?
あの当時は皆、内弟子全盛でね、カエルぷろでも当然そうだった訳だけど、僕等の時代に家の改築話があって。元々の家があったわけで、そこを壊して新築するっていう時に大移動したんです。家の向かいに工場があったんですが、その工場の跡を借りちゃって、そこの2階にすっごい広い部屋をベニヤで仕切って、僕らの部屋とか先生の住む部屋、あと仕事場と。上は筒抜けですよ。家が建つまでですから結構そこに3ヶ月ぐらいはみんなで‥‥‥

     

―――今のオフィスのパーテーションと同じ発想ですね。
そう、そこで仕事してたんですよね。で、いよいよモダンな‥‥‥ 今は凄いですけども、モダンな家が出来るってみんなワクワクして。その時にじゃあスタッフの部屋をって。はっきり言ってそれまでもうひどかったんで(笑)、二段ベッドが2つの4人用の部屋と、もう一つジャンボ(土山先生のニックネーム)がデカイからっていうんで、隣の部屋に二段、僕用のサイズのベッドを入れてくれて。それがその後も残って後々の弟子たちが使ってるって感じ。

     

―――プライバシー‥‥‥
ない、ない、ない。(笑)

     

―――今の若い子には、とてもではないけどたぶん耐えられない‥‥‥
そうかも、ハハハハハハ!  それは置いておいて(笑)。結構、前がそういう状態だったんで、僕らはまだ出来たばかりの新築でしょ、すごく楽しかったですよ。完成したアトリエ(仕事部屋)はとにかく素晴らしかったですし。

     

―――住み込みなので勤務って形ではないですよね。一日の中で仕事をしていて、オフとオンとの切り替えってどうされていたのですか?
無いです。ま~~~ったく無いです(笑)。先生の原稿出てくるまではひたすら待ってますから。晴れた日はベランダで遊んでますし。でも不思議な事にあんまり自分の絵を描いてる人はいなかった、僕はプラモばっかり作ってました(笑)。
先生がコーラが好きってのもあって、僕等のアトリエにもコーラ冷蔵専用器があって暇な時に絵の具や醤油で偽コーラや偽ファンタ作ったりしてね、やって来た編集さんに飲ませたりしてた(笑)。馬鹿なことしてたよなぁ(笑)

     

―――体育会系のノリって感じですか。
そうそう。そうやって先生が仕事を上げるまでの暇な時間があるわけです。その間そうやって遊んでいたってのはありますよね、いつ先生が仕事を仕上げるのか分かんないので、とにかく外出は出来ない。でも一度僕は怒られた事があってね、ちょっと向かいにパチンコ屋があったんですよ。そこ行っててタバコすごい取って帰って来たら、「ジャンボ、何やってるんだ!」って。そのタバコ、少し先生にあげましたけどね。そしたら、「まあ、遅れるんじゃないぞ!」ってね(笑)。

     

―――当時、どんな方々が弟子として既にいらしていたのですか?
先生の弟さんの「馨(かをる)さん」に「田辺」さん。「バイキン」さん、「北海のクマ」さんに「オッチャン」なんかすでにいたよね。
オッチャンってのは初代と2代目がいるから初代の方ね(笑)。
それからカエルぷろでは最初の女性の弟子の方もいましたよ。僕の後から「コバリ」や「ナカムラ」だな。

     

―――トータルで、カエルぷろに在籍人数というのは100名くらいだとお聞きしてますが。
いや、僕はもっと多いと思うな。2~3日でいなくなったってのもいるから。そんなのは先生も覚えてないと思うよ。

     

―――マンガを描くってこと自体を辞めちゃうわけですか? あるいは待遇で?
いやぁ、まったく判らないなぁ。

     

―――弟子の皆さんがそれぞれ脇で作品中に登場します。面白いアイデアでしたが、あれは皆さんで描きあっていたのでしょうか。
いや、あれは全部先生が‥‥‥ 後は、弟の馨さんが結構そういうことが好きで、僕の顔なんかも結構描かれましたね。

     

―――土山先生の場合は、後の作品に多いですよね。
うん、多いですね。クマさんと一緒に軍八の手下で殺し屋の役をやったんですよ。二人デコボココンビで(『ワイルド7』首にロープ編)。

それから『俺の新選組』の藤堂平助とか、まさかあんな役で使われるとは思わなかったなぁ(笑)。

     

―――その他大勢のシーンでも、勝手に弟子同士が描いていることが沢山ありました。そういうパターンもカエルぷろだけでしょうね。他所じゃあまり見かけたことがない。多分、今話をしているキャラクターの方々のカットを披露すれば、名前と顔のイメージは一致してファンの人は判るでしょう。
クマさんなんて顎が印象的だから(笑)‥‥‥

     

―――土山先生が弟子として最初にお描きになったという「突撃ラーメン」でも田辺さんとバイキンさんが出てきます。
バイキンってすごくいやな役。田辺さんなんか“泣かせのターベ”なんてね。よくわかんないけど(笑)。

     

―――だいたいみなさんニックネームで呼ばれていたようですが、ワイルド7のメンバーも飛葉を除いて全員ニックネームですよね。それも中々おもしろいアイデアでした。
そうだねぇ。

     

リー・バン・クリーフL・マービン

―――映画俳優さんそっくりなキャラクターもいたりします。
望月先生は外国の映画や俳優さんが凄く好きで、しょっちゅうでしょ(笑)。戦記物なんかでは必ず出てきていたんじゃないかなL・マービンとかリー・バン・クリーフとか。先生の場合はキャラクターまで物凄くデフォルメしちゃう。作品の中で自分が使えるぐらいまで、キャラクターを作り上げるっていうのは、人を見る目ってのが凄いということだと思うんですよ。よくよく人を見ていないと、こうやって一人々のキャラクター設定出来ませんよね。

     


土山先生、ここで事務局持参のS48年(1973)少年キング増刊3月18日号(ワイルド7大特集号「緑の墓」大攻防戦編)を手にとってページを捲る。
     
凄いね、これ。ワイルド7をまとめたやつ?

     

―――はい、48年当時の少年キング増刊号です。この増刊にはお弟子さん一同で共作された作品が収録されているんです。
あっ、そうだ。あの部屋(カエルぷろアトリエ)で描いたやつだ。
     
懐かしいなぁ、確か先生が、ヨーロッパに1ヶ月ぐらい行ってた時に描いてたんですよ。毎年先生はヨーロッパに行っていまして、ヨーロッパやオーストラリアと、スキーとサッカーの旅。(本をパラパラ捲りながら)おもしろいねぇ。

     

―――おもしろいですよね。今じゃこんな企画ありえない。
今見るとすごいよね。だって遊びに来ていた馨さん(先生の弟)の友達、トミちゃんって僕らが呼んでた人でね、寿司屋の職人だったんだけど、この人まで載ってるってのは笑っちゃうね。
ありえないよね。(笑)面白い‥‥‥。


―――そういえばカエルぷろでは全然漫画制作には関係ない人がチラホラなんてこともあったようですね。
毎日来ているファンで勝手に入ってくるの。で毎日来てるからもう勝手無用なんですよ。世の中がのんびりしていたのかも知れないですねぇ。今じゃ考えられない、セキュリティー全く無し(笑)。

     

―――そういう個人情報の面からいえば今は難しいのかもしれませんが、お弟子さんの名前を出されたりアトリエ内の席まで描かれていたりと、読者が知り得ない制作スタッフ側の様子まで詳しくわかるという企画は面白い発想だと思いますよ。
少年キングの編集部は凄いねぇ。びっくりするのは先生の住所が書いてあること。在りえないよね。単行本にも書かれているし。こんなことしていいの?っていう‥‥‥(笑)
この当時のキングの編集長やそれ以前の編集長、それから担当編集者なんかも先生と個人的に友人だったりしたことが、相当カエルぷろの自由になったっていうのはありますね。もうベッタリで(笑)。

     

―――話を少し戻しますが、土山先生にとって最も印象に残っている作品というのは、初仕事となった突撃ラーメンですか?
自分が手伝っていた時に? そりゃやっぱりワイルド7‥‥‥ じゃないんですよ実は(笑)。あのね‥‥‥ 『ダンダラ新選組』ですね。少年ジャンプ第一回愛読者賞の。それで賞を獲ったんです。
でね、京都に取材に行くっていうんで僕だけ連れて行ってもらって。集英社の担当さんがいたんで新撰組の屯所とか普段入れない所を全部写真撮ってね。あれは好きですね。確か僕は、何か絵が入った舞妓さんみたいな着物を着て出演(?)させてもらった。

     

―――続編は望月先生と土山先生が共作のように描かれていた。土山先生にとってダンダラ新選組が一番印象に残っている‥‥‥
いいですねぇ。あれで新撰組が好きになっちゃった(笑)。その後の『俺の新選組』が、未完ですけど。

     

―――まず、イメージがすごいっていうか、解釈が望月先生独自ですよね。
そう、そう、そう、そう。五万と存在する新撰組の中から、ああいう解釈をしたのは、たぶん望月三起也だけだろうと‥‥‥ 先生の新選組っていうのは、画期的に新撰組のイメージを変えたよね。何年か前に大河ドラマで三谷幸喜さんがやったじゃないですか。あれはどうも先生の描いた原田を意識したんじゃないかと。山本太郎、あれは間違いなく先生のを見ているぞと(笑)‥‥‥。

     

―――そうですよね、衣装自体のイメージがピッタリで‥‥‥
そう、あれはたぶんスタッフの中に好きなやつがいて‥‥‥ 本当に新撰組のイメージを変えたと思います。

     
     
     
今号はここまで!
次号では、いよいよ土山先生が望月先生から教わった”極意”が明かされます。
こうご期待!!
インタビュー〔後編〕につづく… 


土山しげる 先生 【プロフィール】

石川県金沢市生まれ。大阪育ち。
大学時代に望月三起也先生に弟子入り、
73年月刊少年チャンピオンにて「ダラスの熱い日」で本格デビュー。
75年週刊少年キングにて「銀河戦士アポロン」を原作雁屋哲氏と連載、
「UFO戦士ダイアポロン」のタイトルでテレビ東京系でアニメ化される。
また映画化されシリーズ化された「借王」などもあるが、
近年は「喧嘩ラーメン」「極道ステーキ」「食キング」「喰いしん坊!」「極道めし」と
食漫画がヒット。グルメ漫画家としてその地位を築いている。




望月先生のコメント

そういう事もあったねぇ。
と、懐かしく読ませてもらいました。

彼が私の人柄についての質問が一番苦手らしく、何回かのその部分のコメントが実に言いづらそう。
つまり、正直に云ったら、私ってとんでもないキャラクターとなってしまうから、
さぞ困ったことだろうと思います。上手にコメント出来るとこだけ、やってるなってカンジ。

私は自分でいうのもなんですが、我儘だし、勝手だし、集中するのは絵を描く時だけ。
あとは、注意力散漫だし、口ベタだし。
と、彼の口ごもった部分、云っちゃいましょう。・・・・・

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望月先生のコメントの続きは インタビュー〔後編〕  にて


2009 年 3 月 2 日   固定リンク   |   トラックバック(0)


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