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作品紹介

第10回

ワイルド7「死神を処刑」

執筆者:   2009 年 5 月 1 日

「ワイルド7」のブログを運営されている ぐりゅーん・へるつ さんの作品紹介、第2弾は「死神を処刑」。GUNアクションの臨場感と作品が持つメッセージ性を熱く語っていただきました。

     
ワイルド7「死神を処刑」
 週刊少年キング 1973年38号(9/10)
     
     
     
今回取り上げる「死神を処刑」は、ワイルド7では珍しい82ページの短編作品であり、持病の腰痛を悪化させ日常生活も困難な状況にあった望月先生がメイン作画を田辺節雄さんに委ねて生み出されたという経緯を持つ作品である。
本作はこのような「特殊性」のためか、ファンの間でも語られることが少ないようだ。
しかし私はワイルド7のエッセンスが高濃度で凝縮された「隠れた名作」だと思っている。
     
「人気バツグン」「迫力最高」の文字が踊る「死神を処刑」掲載号とピンナップ。
本作はワイルド7連載200回目となるメモリアルエピソードであり、
今号はこれを記念しワイルド7を大フィーチャーした「ワイルドサマー超大号」となった。
       

 
ワイルド7の魅力とは何だろうか?バイク、ガン、兵器類の濃密なアクション。キャラクターの魅力。友情。自己犠牲、悪への怒り。そして忘れてはならないのが「社会的テーマ性、メッセージ性」の強さだと思うのだ。

     
「バイク騎士事件」のテレビ局(メディア)を使った国民の意識操作、肉鉄王国、神話航空など独占的大企業の悪事。犯罪(武装闘争)被害者の悲劇を描いた「ゲリラハンター・ユキ」。いずれも、実在する潜在的な「脅威」を漫画的に誇張したものである。社会の脅威に立ち向かうワイルド7の戦いには「社会的テーマ性、メッセージ性」が強いものが多かったが、それらはうまく「漫画的エンターテインメント性」の中に包まれており、決して説教くさいものではなかった。何よりも漫画として非常に面白かった。この「メッセージ性とエンターテインメント性の高次元での両立」こそ、望月漫画の真骨頂だと思う。
     
さて、「死神を処刑」の内容に入ろう。
今回のターゲットは九鬼源介。アラブの紛争地域に日本製の武器を持ち込み、利益をあげている武器商人いわゆる「死の商人」だ。物語の最終局面、九鬼が滞在するホテルの部屋に乗り込む飛葉。用心棒をショットガンで撃ち倒した後、「てめえのあいてはこっちの銃だ」と64式小銃を取り出す。
     
     
この銃は飛葉がアラブゲリラから借りてきたものだ。「日本製の自動小銃が海外の紛争地域で使用される…このようなことが現実にあり得るのだろうか?」初読の中学生時代、私はそう思ったものだが、「死神を処刑」が掲載された1973年の前年には北アイルランドで、同年にはニューヨークで、日本でライセンス生産され輸出されたスポーツライフルが紛争に使用されるという「事件」が実際にあったのである。この銃(AR180)は本来半自動だが簡単に全自動に改造でき、20連、30連のマガジンを装着することも可能だった。スポーツライフルとして合法的に輸出されたものだが、武器(自動小銃)に容易に転用できることが国会でも問題になり、国からメーカーに輸出の自粛が求められ、後に輸出も生産もストップすることとなった。私はこの事実を近年知ったのだが、直ちに本作が思い浮かんだ。あり得ない話じゃなかったんだ…望月先生の見識の高さを改めて実感し、尊敬の念をさらに強くしたものである。
     
「日本人のつらよごしやろう!! てめえの売った武器の味をとっくり味わってみろっ」
64式小銃を構える飛葉。ガードマンの死体を盾に、必死の命乞いをする九鬼。
「やっと武器のこわさを知ったようだな」「だが…もうおそい!!」
20連マガジンに込められた全弾が、日本の死の商人の肉体に叩き込まれる。
     
「武器のこわさを知れ!」心に突き刺さるメッセージである。九鬼が扱っていたような小型武器(自動小銃や携帯用対戦車兵器、爆発物、地雷等)は、紛争を誘発、長期化させるだけでなく、紛争終了後も回収されず治安を悪化させている。国連の報告では小型武器の使用による死者は年間50万人にものぼり「事実上の大量破壊兵器」とさえ言われているが、回収、破壊、流通規制等の取り組みは難航している。「死神を処刑」の持つメッセージ性は現代においてもまったく色褪せていない。それどころか、その重要性は35年前より増している感もある。九鬼の処刑後、飛葉はつぶやく。「これでしばらくは このアラブ地域に武器がはいるのを ふせげるだろう」 武器商人1人を片づけたところで問題が根本的に解決する訳ではない。これもまた非常に重いメッセージである。
     
次に「メッセージ性」以外の部分を見てみよう。
冒頭のシーン。中東の紛争地域の国境付近、アラブゲリラのアジトになっている村に現れる飛葉。「ここで待たせてもらうぜ」とゲリラの隊長に告げる。彼はここで何を「待つ」のか?飛葉の目的がなかなか明らかにされず、読者はずっと引っ張られて行く。物語の最終盤、九鬼が「死の商人」の本性を現しイスラエル側に寝返ったとの報に接した時、飛葉は「その死の商人 九鬼源介を葬りさる! これがおれの任務だ!!」と叫び、ようやく目的が明らかになる。この「引っ張る」展開が素晴らしいと思う。
     
飛葉が「待つ」間、世話になるゲリラ親子のキャラクターが実に素晴らしい。「オヤジさん」と呼ばれる落ち着いた物腰の兵士とアリという名の息子だが、活発な子供と飛葉を絡ませることで、現地の厳しい水・食糧事情をギャグを交えて表現でき、「きまってるね ヒバちゃん」という先生お得意の時事CMギャグも出せた。また、「父と子の情愛」という、泣かせのツボもある。オヤジさんは、オアシスから水を引いて貯蔵するための水タンクづくりを行っており、アリもそれを手伝っている。破壊しかもたらさない戦火の中で進められる父と子の建設的な作業。それをゴロゴロしながら横目で見ている飛葉。無関心を装いながらも、父子の姿がとても気になっているのである。
     
スパイの通報をきっかけにイスラエル軍の空爆が開始され、続いて戦車・兵員輸送車からなる地上部隊が侵攻してくる。対戦車兵器を空爆で失い窮地に陥るゲリラたち。「勝負あったな」飛葉の戦術的判断は的確で素早い。ついに決然と立ち上がった飛葉は、バイクで単身、戦車群に立ち向かっていく。「てめえの命が かわいいだけよ」などと言いながら、ゲリラの負傷兵や住民たちを見殺しにすることは決して出来ない。クールでワルぶっているが、根はとても情に厚い男。私は飛葉のこういう部分が大好きだ。
     
バイクで戦車に戦いを挑む。これはバイクアクション作品の究極の状況設定と言って良いだろう。しかも遮蔽物がまったくない砂漠が舞台だ。「ワイルド7に作戦は必要ねえ!! 必要なのは その場そのときの 瞬間の適応性だ」という名言(戦術の引き出しの多さ、臨機応変の機転の早さ、自主性がチーム全体に備わってこそのモットーであり、サッカー日本代表に聞かせてやりたい)とともに、奇想天外の「ダビデ作戦」が展開される。ソリに砲弾をくくりつけて高速で牽引するのだが、ソリは子供たちが砂丘で遊んでいたものだし、砲弾は飛葉がスパイ容疑で殺されかかった際に威嚇に使ったもの。きちんと伏線として登場している。アクションシーンのアイディアも極めて秀逸だが、そこに至る話の作り方が実に上手いと思う。
     
     
話の作り方と言えば、空爆から水タンクを守ろうとして負傷したアリが物語から一時的に退場し、ラストシーンに再登場するのだが、このあたりの展開も心憎いばかりだ。
     
イスラエル側の国境の町に九鬼が滞在していることを聞きつけた飛葉は、強力な機甲大隊が駐屯しているという忠告も省みず、「1パーセントに賭ける」と任務遂行のために出発しようとする。ここから、オヤジさんから仲間たちへの「飛葉さんに手を貸そう」という呼びかけ、ゲリラたちの議論、志願者5人による陽動作戦という、戦車戦に続く第2の山場に物語は向かって行く。
     
普段は物静かで温厚なオヤジさんによる熱烈な呼びかけには、何度読んでも泣かされる。「イスラエルに武器を売る商人は敵だっ その敵をたおすための手だすけだ 犬死にじゃない!!」「わしはいくよ わしはアリに”恩をうけたらわすれるな わすれたら男じゃない”…といつも そういいきかせてきたんでな」「アリは男の子だ わしがいなくても ちゃんと生きていける」この一連のシーンは、アリが父親の側にいては決して生きて来ないのだ。
     
オヤジさんの呼びかけに呼応した戦士たちは、イスラエル軍の機甲大隊に正面から立ち向かう。「陽動作戦だ できるだけ はでにやれっ」 あまりにも無謀な攻撃に気を取られた町の防備は薄くなり、飛葉は容易にホテルに潜入できた。そして上述の処刑シーンへと繋がって行く。
     
任務を果たした飛葉は、町の入り口に横たわる5人の戦士たちの死体を前に、バイクの足を止める。空港へは向かわずにゲリラのいた集落へ戻り、戦火で傷ついた水タンクをひとり修復する飛葉。背後から包帯姿のアリが近寄る。「とうちゃん!! なおったんだね タンクもとどおりになったんだね」という呼びかけに振り返らず、無言で立ち去る。ゴーグルに涙を滲ませながら、朝日の中をCB750が走り去って行く。深い余韻を残す名ラストシーンだ。ホテルを出てからの飛葉は終始無言である。「心のつぶやき」さえもない。飛葉の心情は読者が想像するしかないが、それが実に効果的なのである。
     
     
今回は飛葉の単独任務であり、他のワイルドのメンバーは出て来ない。しかし、飛葉の任務遂行のために戦い、散って行ったオヤジさんたち5人の戦士もワイルド7の臨時メンバーと呼んでやりたい。飛葉と肩を並べて戦うことはなかったが、志において飛葉と完全に一致していたのだから。

短編であり特殊事情もあった本作だが、メッセージ性とエンターテインメント性が見事に両立し、ワイルド7の魅力がすべて詰まっていると言っても過言ではない。そう思えるほど内容が高度であり、個人的にも思い入れの強い作品である。未読の方はぜひご覧になって頂きたい。ぶんか社の文庫判では、第11巻「谷間のユリは鐘に散る」に併録されている。
     
     


望月先生のコメント
【望月三起也先生より】
そうでしたか、腰痛の時に描いたって、私は忘れてました。
それを指摘するってファンの方は、私以上に望月三起也に詳しいんですねえ。
持病の腰痛ですが、たぶん、それの第一回目だったと思います。
そのキッカケは野球なんですねえ。サッカーだけやってりゃ腰痛もなかったろうにね。
仕事疲れをほぐすつもりで、あの日は近所の公園で軽くゲームをやった覚えがあります。
たまたま力を込めて遠投した時、ひねり過ぎたんでしょう。腰がガクッときまして、息をしても痛い。
すぐに近所のマッサージ師へ駆け込んだのですが、針を打ち、患部を温湿布されました。
家へ戻っても痛みは激しくなるばかり。
少しでも腰を動かそうものなら、激痛が頭のてっぺんまで駆け上がる。
夜10時過ぎ、たまらず市民病院へ行く事に。その頃には歩行困難、でかいジャンボにかかえられ、三階分階段降りるのに、冷汗流しつつ、5分もかかる始末。スローにしか身体が動かせない。
病院で待ってる間も、座っても立っても横になっても苦痛、やっとお医者さんがモルヒネ打ってくれた時は、生れて初めて注射が好きになりました。
それまで注射嫌いで針恐怖症だったんですがね。
それからの一週間、天井しか向けない。少しでも腰を動かすと痛みが走る。とても机に向かえない。
そこで、田辺節雄の登場。いやぁ、がんばってくれました。感謝です。
人物が描けなくても、せめて顔くらいはと思っても、天井向いてペン持つと、引力の関係で顔面にインクがたれるのですよ。
しかたなく以前描いた飛葉の顔、各表情をコピーして貼り付けるという手段に出ました。
休むのが情けなくて、強情張って仕上げました。
廻りには私の強情のおかげでえらい迷惑かけましたけど、半面、私としては思った以上に力を入れた画をモノにしてくれて、そのあたりも大感謝です。
弟子にはめぐまれてるなぁ。
   
そういうわけで、アイデアはダビデとゴリアテなんですが、腰を痛めてからストーリーづくりでは、とても思いつかなかったと思います。
ダビデ? それは投石器を使って、巨人ゴリアテを倒した少年、のちに王様になるのです。
聖書に出てくる話、それを戦車をゴリアテつまり巨人とし、砲弾を投石と考えて創作した活劇シーン、自分でも気に入ってるシーンのひとつです。
   

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コメント/トラックバック

  • helo :
    ダビデ作戦が成功した時のCB750がやけに詳細に描かれていた理由が判って、フムフムと頷いています。(((笑;;

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