今回より、望月漫画の魅力について不定期で語らせて頂くことになりました。テーマは「アクション」「人間ドラマ」「食と生」「権力、暴力への嫌悪」を予定しています(さらに続くかもしれません)。どうぞよろしくお願いします。
初回となる今回は、望月先生の代名詞である「アクション」がテーマです。
「アクション漫画の永遠のバイブル」望月アクションの魅力
望月先生はアクション漫画の第一人者であり、その作品はいずれもアクション漫画の金字塔といえます。今回は、「ワイルド7の中でも最高のアクションシーン」として名高い「地獄の神話」の「植物園の戦い」を題材に、その魅力の解読を試みたいと思います。
「アクション漫画の3要素」がすべて揃っている!
アクション漫画には「迫力ある描写」が不可欠であり、その点でも望月先生の画は他の追随を許さないレベルなのですが、先生の漫画は「絵」以外の部分、映画で喩えれば「脚本」と「演出」がとても素晴らしく、「絵」との相乗効果を生んでいると思うのです。
私はアクション漫画には「因縁の対決」「個性 vs 個性の対決の構図」「反撃の爽快感」の3つの要素が重要ではないか…と思っています。これが「絵以外の重要な要素」ということですが、「植物園の戦い」にはこれらがすべて最高レベルで揃っていると思います。
(同時刻、VONでは「爆弾トラップ」によってイコと志乃ベエたちが絶体絶命の状況に陥っています。主人公の「決闘」と「ヒロインの危機」が同時進行しているという、構成の素晴らしさも見逃せません)
「因縁の対決」
この「植物園の戦い」は、ジョーとの2度目の対戦になります。1度目の対戦「高層ビル上の戦い」は両者痛み分けに終わりましたが、この最初の対決が「因縁」を生みます。人質を取るものの、それをものともしない飛葉の射撃によってジョーは負傷、ヘリで撤退しますが、その代償として守衛の老人を巻き添えで死なせてしまいます。飛葉は心に深い傷を負いましたから、この戦いは飛葉の敗北と言えるでしょう。
さらに「敗因」が、飛葉の強さの象徴である「ドーベルマン(猟犬)魂」が裏目に出た…ということも重要でしょう。獲物を前にしたドーベルマンは他のものには目もくれず、猟犬としての「野性」の命じるままに獲物に向かって行きます。飛葉は猟犬のような強い闘争本能によって敵を圧倒することが多々ありましたが、その「個性」=周囲や我が身の危険をも厭わないアグレッシブさが、時には悲劇を生むこともあります。「個性」「強さ」が同時にウィークポイントでもあるのです。
そして、再戦となる「植物園の戦い」でのジョーの敗因も、これと同じなのです。後述しますが、ジョーもその「個性」(信念)によって破れることになります。2人の敗因は同じであり、飛葉の敗北はジョーの敗北の伏線と見ることもできると思います。
ビルの屋上で守衛の遺体に復讐を誓う飛葉。その後、残された孫たちに守衛が渡せなかった玩具を渡し、遊び相手になってやります。敵への怒りを燃やすシーンがじっくりと描かれていますが、これはその後のバトルシーンで「怒りの爆発」としてカタルシスを生むことになるので重要です。
守衛のアパートに投げ文があり、「植物園にて午後三時に待つ」とあります。飛葉は「この2時間がどんなに待ち遠しいか てめえにはわかるまい…」と臨戦モードに入ります。ドーベルマン魂に火が付いた瞬間です。決戦を前に、読者も非常にアツくなるシーンですが、実はこれが「罠」に陥った瞬間だったのです。
午後5時にクルマのヘッドライトが点灯されていることから、このシーンの季節は真冬と考えられます。3時にバトルが開始されると夜戦に持ち込まれる可能性があるのですが、アツくなっている飛葉の眼中にそのことはありません。夜戦を意識させない「3時」という微妙な時間指定の効果でしょう。そして闇に包まれるのが早く、邪魔の入りにくい閉鎖空間である「植物園」が決闘場として指定されています。憎い演出ですね。
相手のジョーの特技は、視覚に頼らず物音で敵の位置を把握して正確に狙撃できることです。飛葉を待ち伏せし、得意の夜戦に持ち込もうというジョーの策略はこうして成功し、復讐に燃える飛葉は罠に向かって一直線に向かって行きます。飛葉が罠に陥ったのは、第1ラウンドの敗北による怒りで平常心を失ったことが原因であり、戦いを2ラウンド制にした効果が出ています。
「個性 vs 個性の対決の構図」
ジョーが用意した武器は、ライフル、マシンガンなど長射程、高威力の長物ばかりなのに対し、飛葉の武器はウッズマン、パイソン、PPKといった拳銃と、バイクに積まれたショットガンであり、いずれも短射程のものです。
ここに「長射程 vs 短射程(ライフル vs 拳銃・ショットガン)」「夜戦向き vs 夜戦に不慣れ」という「個性 vs 個性の対決の構図」が完成します。
暗闇に潜みながら長射程のガンでなぶり殺しの狙撃を楽しむジョーに対し飛葉は、攻撃をかわしつつ敵を発見し、密かに接近して、近距離から渾身の一撃を見舞わなくてはなりません。この不利な状況でどうやってそれを遂行するのか? 読者は完全に作品世界に引き込まれていきます。
「反撃の爽快感」
飛葉を一方的に攻め立てて重傷を負わせ、勝利を確信したジョーはついにその姿を現します。トドメの一撃を放とうとするジョーに向け、飛葉はブーツに隠してあったPPKで乾坤一擲の反撃を試みますが、致命傷は与えられず、ジョーは再び闇の中に身を隠します。反撃は失敗に終わったのか?奥の手はもうないのか?「反撃の爽快感」を期待した読者はこうして一度スカされるのですが、このクライマックス寸前の「タメ」の演出が極めて効果的で、心憎いばかりです。
ジョーはライフルに着剣し、暗闇を忍び寄って飛葉を刺殺しようとします。過去最強クラスと認めた好敵手に敬意を表したのか、思わぬ反撃に復讐心を燃やしたのか、ジョーはフィニッシュを美しく決めることにこだわりを見せます。
この絶体絶命の状況の中で、飛葉の特性である「土壇場の機転」がいよいよ発揮されます。樹上にナナハンのシルエットを発見した飛葉は、PPKの残弾でガソリンタンクを射ぬきます。発火したガソリンは周囲を照らし出し、さらにジョーの上に降り注いで動揺を誘います。そして求めていたショットガンが、バイクから落ちて来るのです。「照明」「反撃」「ショットガンの獲得」という目的を同時に果たす「一挙三得」のスーパープレイ。素晴らしいアイディアとスピーディな展開に読者は驚き、興奮は最高潮に達します。
しかし、戦いの決着はまだついていないのです。決定的な武器であるショットガンは、ジョーと飛葉の中間に落ちました。ショットガンを挟んで対峙する2人。ジョーの手には着剣したライフルがありますが、飛葉は丸腰。この状況からどう戦うのか…?西部劇で良く見られるシーンですが、やはり最後はジリジリするような「2人の対峙」による決闘シーンが何といっても盛り上がります。
この状況で、ジョーは着剣したライフルを投擲します。ショットガンに向けて飛び込んだ飛葉はこれをかわし、ついに目的のショットガンを手にします。敵を発見し、近づき、射撃する…目標としていた瞬間、読者が「反撃の爽快感」を味わう時がついに訪れました。至近距離からのショットガンの射撃という、極めて強烈なシーンによって…。
「戦いの余韻」
こうして戦いは終わりましたが、深い余韻を残しています。最後に飛葉と対峙した時に、ジョーはなぜライフルを投擲してしまったのでしょうか。投擲をかわされ、唯一の武器を失うリスクを考えなかったのでしょうか?先に動いた飛葉に焦りを感じ、冷静な判断が出来なかったのでしょうか。ライフルの引き金を絞るだけで勝負は簡単についたはずなのに。
ジョーは悪党ですが、無闇に殺生を行う粗暴なタイプではありません。殺し屋としての「美学」を持ち、「ルール」にこだわる男でした(守衛の射殺も独自の「ルール」によるもの)。それが彼の「信念」であったかもしれません。ライフルの投擲は、「一度決めたこと(ルール)は変えない」という「信念」がそうさせたものと思います。彼の「美学」「信念」が自らの敗北を招くことになってしまった…と私は受け止めています。
これは第1ラウンドで、飛葉の「ドーベルマン魂」が自らの敗北を招いたのと同じ構図であり、だからこそ敗者の側にも強い印象が残ります。「敗因」が似通っているので、「2人は似た者どうしだったのではないか?」という思いがよぎります。名勝負と呼ばれるものは、決着がついた後も深い余韻を残すものである…。このシーンを読んでつくづくそう思うのです。
望月作品の魅力はアクションだけではありません。次回は、アクションに並ぶ望月マンガの大きな魅力である「人間ドラマ」について取り上げたいと思います。
初回となる今回は、望月先生の代名詞である「アクション」がテーマです。
「アクション漫画の永遠のバイブル」望月アクションの魅力
望月先生はアクション漫画の第一人者であり、その作品はいずれもアクション漫画の金字塔といえます。今回は、「ワイルド7の中でも最高のアクションシーン」として名高い「地獄の神話」の「植物園の戦い」を題材に、その魅力の解読を試みたいと思います。
「アクション漫画の3要素」がすべて揃っている!
アクション漫画には「迫力ある描写」が不可欠であり、その点でも望月先生の画は他の追随を許さないレベルなのですが、先生の漫画は「絵」以外の部分、映画で喩えれば「脚本」と「演出」がとても素晴らしく、「絵」との相乗効果を生んでいると思うのです。
私はアクション漫画には「因縁の対決」「個性 vs 個性の対決の構図」「反撃の爽快感」の3つの要素が重要ではないか…と思っています。これが「絵以外の重要な要素」ということですが、「植物園の戦い」にはこれらがすべて最高レベルで揃っていると思います。
(同時刻、VONでは「爆弾トラップ」によってイコと志乃ベエたちが絶体絶命の状況に陥っています。主人公の「決闘」と「ヒロインの危機」が同時進行しているという、構成の素晴らしさも見逃せません)
「因縁の対決」
この「植物園の戦い」は、ジョーとの2度目の対戦になります。1度目の対戦「高層ビル上の戦い」は両者痛み分けに終わりましたが、この最初の対決が「因縁」を生みます。人質を取るものの、それをものともしない飛葉の射撃によってジョーは負傷、ヘリで撤退しますが、その代償として守衛の老人を巻き添えで死なせてしまいます。飛葉は心に深い傷を負いましたから、この戦いは飛葉の敗北と言えるでしょう。
さらに「敗因」が、飛葉の強さの象徴である「ドーベルマン(猟犬)魂」が裏目に出た…ということも重要でしょう。獲物を前にしたドーベルマンは他のものには目もくれず、猟犬としての「野性」の命じるままに獲物に向かって行きます。飛葉は猟犬のような強い闘争本能によって敵を圧倒することが多々ありましたが、その「個性」=周囲や我が身の危険をも厭わないアグレッシブさが、時には悲劇を生むこともあります。「個性」「強さ」が同時にウィークポイントでもあるのです。
そして、再戦となる「植物園の戦い」でのジョーの敗因も、これと同じなのです。後述しますが、ジョーもその「個性」(信念)によって破れることになります。2人の敗因は同じであり、飛葉の敗北はジョーの敗北の伏線と見ることもできると思います。
ビルの屋上で守衛の遺体に復讐を誓う飛葉。その後、残された孫たちに守衛が渡せなかった玩具を渡し、遊び相手になってやります。敵への怒りを燃やすシーンがじっくりと描かれていますが、これはその後のバトルシーンで「怒りの爆発」としてカタルシスを生むことになるので重要です。
守衛のアパートに投げ文があり、「植物園にて午後三時に待つ」とあります。飛葉は「この2時間がどんなに待ち遠しいか てめえにはわかるまい…」と臨戦モードに入ります。ドーベルマン魂に火が付いた瞬間です。決戦を前に、読者も非常にアツくなるシーンですが、実はこれが「罠」に陥った瞬間だったのです。
午後5時にクルマのヘッドライトが点灯されていることから、このシーンの季節は真冬と考えられます。3時にバトルが開始されると夜戦に持ち込まれる可能性があるのですが、アツくなっている飛葉の眼中にそのことはありません。夜戦を意識させない「3時」という微妙な時間指定の効果でしょう。そして闇に包まれるのが早く、邪魔の入りにくい閉鎖空間である「植物園」が決闘場として指定されています。憎い演出ですね。
相手のジョーの特技は、視覚に頼らず物音で敵の位置を把握して正確に狙撃できることです。飛葉を待ち伏せし、得意の夜戦に持ち込もうというジョーの策略はこうして成功し、復讐に燃える飛葉は罠に向かって一直線に向かって行きます。飛葉が罠に陥ったのは、第1ラウンドの敗北による怒りで平常心を失ったことが原因であり、戦いを2ラウンド制にした効果が出ています。
「個性 vs 個性の対決の構図」
ジョーが用意した武器は、ライフル、マシンガンなど長射程、高威力の長物ばかりなのに対し、飛葉の武器はウッズマン、パイソン、PPKといった拳銃と、バイクに積まれたショットガンであり、いずれも短射程のものです。
ここに「長射程 vs 短射程(ライフル vs 拳銃・ショットガン)」「夜戦向き vs 夜戦に不慣れ」という「個性 vs 個性の対決の構図」が完成します。
暗闇に潜みながら長射程のガンでなぶり殺しの狙撃を楽しむジョーに対し飛葉は、攻撃をかわしつつ敵を発見し、密かに接近して、近距離から渾身の一撃を見舞わなくてはなりません。この不利な状況でどうやってそれを遂行するのか? 読者は完全に作品世界に引き込まれていきます。
「反撃の爽快感」
飛葉を一方的に攻め立てて重傷を負わせ、勝利を確信したジョーはついにその姿を現します。トドメの一撃を放とうとするジョーに向け、飛葉はブーツに隠してあったPPKで乾坤一擲の反撃を試みますが、致命傷は与えられず、ジョーは再び闇の中に身を隠します。反撃は失敗に終わったのか?奥の手はもうないのか?「反撃の爽快感」を期待した読者はこうして一度スカされるのですが、このクライマックス寸前の「タメ」の演出が極めて効果的で、心憎いばかりです。
ジョーはライフルに着剣し、暗闇を忍び寄って飛葉を刺殺しようとします。過去最強クラスと認めた好敵手に敬意を表したのか、思わぬ反撃に復讐心を燃やしたのか、ジョーはフィニッシュを美しく決めることにこだわりを見せます。
この絶体絶命の状況の中で、飛葉の特性である「土壇場の機転」がいよいよ発揮されます。樹上にナナハンのシルエットを発見した飛葉は、PPKの残弾でガソリンタンクを射ぬきます。発火したガソリンは周囲を照らし出し、さらにジョーの上に降り注いで動揺を誘います。そして求めていたショットガンが、バイクから落ちて来るのです。「照明」「反撃」「ショットガンの獲得」という目的を同時に果たす「一挙三得」のスーパープレイ。素晴らしいアイディアとスピーディな展開に読者は驚き、興奮は最高潮に達します。
しかし、戦いの決着はまだついていないのです。決定的な武器であるショットガンは、ジョーと飛葉の中間に落ちました。ショットガンを挟んで対峙する2人。ジョーの手には着剣したライフルがありますが、飛葉は丸腰。この状況からどう戦うのか…?西部劇で良く見られるシーンですが、やはり最後はジリジリするような「2人の対峙」による決闘シーンが何といっても盛り上がります。
この状況で、ジョーは着剣したライフルを投擲します。ショットガンに向けて飛び込んだ飛葉はこれをかわし、ついに目的のショットガンを手にします。敵を発見し、近づき、射撃する…目標としていた瞬間、読者が「反撃の爽快感」を味わう時がついに訪れました。至近距離からのショットガンの射撃という、極めて強烈なシーンによって…。
「戦いの余韻」
こうして戦いは終わりましたが、深い余韻を残しています。最後に飛葉と対峙した時に、ジョーはなぜライフルを投擲してしまったのでしょうか。投擲をかわされ、唯一の武器を失うリスクを考えなかったのでしょうか?先に動いた飛葉に焦りを感じ、冷静な判断が出来なかったのでしょうか。ライフルの引き金を絞るだけで勝負は簡単についたはずなのに。
ジョーは悪党ですが、無闇に殺生を行う粗暴なタイプではありません。殺し屋としての「美学」を持ち、「ルール」にこだわる男でした(守衛の射殺も独自の「ルール」によるもの)。それが彼の「信念」であったかもしれません。ライフルの投擲は、「一度決めたこと(ルール)は変えない」という「信念」がそうさせたものと思います。彼の「美学」「信念」が自らの敗北を招くことになってしまった…と私は受け止めています。
これは第1ラウンドで、飛葉の「ドーベルマン魂」が自らの敗北を招いたのと同じ構図であり、だからこそ敗者の側にも強い印象が残ります。「敗因」が似通っているので、「2人は似た者どうしだったのではないか?」という思いがよぎります。名勝負と呼ばれるものは、決着がついた後も深い余韻を残すものである…。このシーンを読んでつくづくそう思うのです。
望月作品の魅力はアクションだけではありません。次回は、アクションに並ぶ望月マンガの大きな魅力である「人間ドラマ」について取り上げたいと思います。
ぐりゅーん・へるつ さんのプロフィール
【望月三起也先生より】
いやはや、ぐりゅーん・へるつさんの読み方、料理でいうところの味わい尽くし最後の骨だけにして、その骨もしゃぶり尽くしてしまい、さらに骨をスープにしてタマゴ落としてオジヤにして食べたってくらい見事な食べっぷり。料理人の私としてはもう笑顔が止まらず、思い出し笑いをしてしまうほどの褒められように、まさに『一品絶品』、作った甲斐があったというところです。
『地獄の神話』のこのエピソードは独立して一本の映画にしたいと常々思っているところ。十年に渡って何本もストーリーを作ってきましたが、中々本人がこれは!という自信作は少ない。
ストーリーが良くてもキャラクターの個性が弱かったり、絵としていい顔ができなかったり、構成がまずかったりと反省ばかりですから。
例えば「『首にロープ』の中で」、とかファンから話し掛けられても記憶が曖昧、酷い話ですが「それ、どんな内容?」って始末。そんなワイルドセブン10年の各編の中で『谷間のユリは鐘に散る』の一編とこの植物園の決闘部分はかなりお気に入りのものではあります。
二つのエピソードを交互に描くって手法は映画的で、シナリオの勉強をしていた私としては割と得意ではありますが、これ口で言うほど楽じゃない。両方がバラけないよう結びつけながら、それぞれ独立しても面白くしなくちゃいけない訳で、ノリが悪いと失敗。
まァ このときはノリが良かったんじゃないかな? さして苦労もせず次々とスリルのシーンが頭に浮かび、何パターンものトリックも勝手に出てきてペン先が走ったときです。
そもそものアイデアも植物園に家族で行ったときのこと、突然ひらめき、ここは決闘の舞台に使える!! と。
そうなると、この木の陰へ潜むと向こうからの視界は遮られ、この植え込みにGUNを隠し・・・・
足を撃たれ、散弾で撃ち返し・・・・ と頭の中はもう殺しのシーンで一杯、凄みのある笑顔でニタリ。
ま、家族も私の頭の中は見られませんから、笑顔見れば楽しんでるなと。植物園でそんな物騒な考えでぶらついているとは夢にも思わないでしょうね。
私にとってファンと家族と両方楽しませる結果になった植物園ということでしょうか。
それにしてもぐりゅーんさん、主人公の悔しさという感情やその感情が銃撃シーンへ与える影響等々、よくまァ深く読み込んでくれて、作者にとってこんな嬉しいことはないのです。
その半面、読みが浅いと実はこのシーンがここへ繋がるから面白いわけで、なんて解説しなくちゃならない。それも寂しいですよ。
この先も他の作品をどう読み取ってくれるか、楽しみですね。
いやはや、ぐりゅーん・へるつさんの読み方、料理でいうところの味わい尽くし最後の骨だけにして、その骨もしゃぶり尽くしてしまい、さらに骨をスープにしてタマゴ落としてオジヤにして食べたってくらい見事な食べっぷり。料理人の私としてはもう笑顔が止まらず、思い出し笑いをしてしまうほどの褒められように、まさに『一品絶品』、作った甲斐があったというところです。
『地獄の神話』のこのエピソードは独立して一本の映画にしたいと常々思っているところ。十年に渡って何本もストーリーを作ってきましたが、中々本人がこれは!という自信作は少ない。
ストーリーが良くてもキャラクターの個性が弱かったり、絵としていい顔ができなかったり、構成がまずかったりと反省ばかりですから。
例えば「『首にロープ』の中で」、とかファンから話し掛けられても記憶が曖昧、酷い話ですが「それ、どんな内容?」って始末。そんなワイルドセブン10年の各編の中で『谷間のユリは鐘に散る』の一編とこの植物園の決闘部分はかなりお気に入りのものではあります。
二つのエピソードを交互に描くって手法は映画的で、シナリオの勉強をしていた私としては割と得意ではありますが、これ口で言うほど楽じゃない。両方がバラけないよう結びつけながら、それぞれ独立しても面白くしなくちゃいけない訳で、ノリが悪いと失敗。
まァ このときはノリが良かったんじゃないかな? さして苦労もせず次々とスリルのシーンが頭に浮かび、何パターンものトリックも勝手に出てきてペン先が走ったときです。
そもそものアイデアも植物園に家族で行ったときのこと、突然ひらめき、ここは決闘の舞台に使える!! と。
そうなると、この木の陰へ潜むと向こうからの視界は遮られ、この植え込みにGUNを隠し・・・・
足を撃たれ、散弾で撃ち返し・・・・ と頭の中はもう殺しのシーンで一杯、凄みのある笑顔でニタリ。
ま、家族も私の頭の中は見られませんから、笑顔見れば楽しんでるなと。植物園でそんな物騒な考えでぶらついているとは夢にも思わないでしょうね。
私にとってファンと家族と両方楽しませる結果になった植物園ということでしょうか。
それにしてもぐりゅーんさん、主人公の悔しさという感情やその感情が銃撃シーンへ与える影響等々、よくまァ深く読み込んでくれて、作者にとってこんな嬉しいことはないのです。
その半面、読みが浅いと実はこのシーンがここへ繋がるから面白いわけで、なんて解説しなくちゃならない。それも寂しいですよ。
この先も他の作品をどう読み取ってくれるか、楽しみですね。
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2010/04/02 at 2:17 AM
40年来の熱烈な浦和レッズサポーターとしても知られる望月三起也先生の公式サイト、
2010/04/02 at 9:55 PM
作品に真っ向からぶつかっていく姿勢は、読んでいて清々しいくらいです。
アタシの場合はこういかないんだよなぁ。
どうにも、重箱の隅で。自分では、諦めてますけどネ(笑)
2010/04/03 at 10:53 PM
やはり「地獄の神話」は、先生の中でも「傑作」という認識があったということですね!
そうでしたら、以前掲示板に提案した「ワイルド7 地獄の神話・完全版」実現の可能性はあるんじゃないかと期待してしまいます。
「地獄の神話」は望月作品中最高のアクション作品という評価があるのに、見開きのカラー原稿が紛失していて「完全版」が今まで出版されていないのです。
・カラーページ全掲載(原画紛失分を新たに描き下ろし)
・原稿原寸大のサイズ
・質の良い紙
・扉絵全掲載
・ページネーションは掲載時と同じ
・セリフも掲載時と同じ(誤植と思われる部分は別として)
このような「完全版」をぜひ読みたい!
私としては、ワイルド7トリビュートのセカンドシリーズと絡ませた企画のひとつとして、これをぜひ少年画報社さんから出版して頂きたいです!
「ワイルド7 地獄の神話」の完全版をぜひ!
http://wild7.jp/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=709