その作品は、望月先生のプロフィール欄に『1960年「特ダネを追え」でデビュー』と、書かれているのみで、名前だけは知っているものの誰も身の回りにその作品を実際に見た事があるという人がおらず、しかも一度も単行本にも収録された事がない為、これまで私にとって幻の作品でした。今から既に50年前の作品ですから当然ですが。
今回その幻の作品を発表から丁度50年目に、この場で紹介をさせていただく事になりましたeddy-sです。
過去唯一「特ダネを追え」についての記述があるのは、望月先生自身が「月刊少年ジャンプ」(1974/6/1号)漫画家自伝シリーズ「カエルが燃えるとき」の中で、簡単に当時の事をご自身で描かれたぐらいです。それを初めて読んだ時はタイトル名が書いてなかったので、なんという作品かわからなかったのですが、今回この記事を書く為に改めて読み直してみたら、しっかりタイトルが小さく書いてありました。いや、望月先生芸が細かい。
たしかに当時の漫画雑誌の表紙はさっぱりとしたもので、せいぜい付録のお知らせが書いてある程度でした。(ちなみに、「カエルが燃えるとき」は、現行刊行中のぶんか社文庫「ロゼ・サンク」に収録してあります。タイトルにもなっている『ワイルド7外伝 ROSEV』も読み応え満点です。まだ持っていない人は直ぐ書店に行って購入しましょう!!)
読後の率直な感想を言いますと、よく8ページ(実質7ページ)で話をまとめられたなと思いました。望月先生は当時19歳 、しかも独学で漫画を描かれていた頃だと思います。ストーリー漫画を実際に描いた事がある人ならわかると思いますが、20~30ページぐらいあれば起承転結のストーリーを描くのは何とか出来ますが、ストーリーものでわずか8ページの話を作ることがいかに大変な事か。
与えられた少ないページの中、本来ならタイトル表示だけで終わってしまう貴重な最初の1ページを、扉絵の上の部分に話のプロローグのカットを入れる事で、次どうなるのだろうとページを捲りたくなる読者心理をうまく利用し、且つ、タイトル名を含んだクライマックスシーンを挿入する事で、一目瞭然で内容がわかり一石二鳥の役目を果たしています。
さらに、その後の望月漫画の名物とも言える銃器・メカニックを出来る限りリアルに描くという点でも。既に第一作の扉絵に、アメリカのギャング映画でおなじみのアメリカ製「トンプソンサブマシンガン」を悪人が構えています。特徴のあるドラムマガジンも左手のグリップも うまく捉えて描写されているので一目で「トンプソン」とはっきりわかります。悪人の恰好も、当時の日活映画や東映映画に登場するギャングの恰好そのもの。当時はギャングの恰好と言えば、帽子に覆面にトレンチコートにサブマシンガン(なぜか必ずトンプソン)とダイナマイトと、この5点セットがギャングの七つ道具でした。いかにもアクション映画が大好きだった望月先生らしい描写です。
一方、主人公と思われる少年(名前はがんちゃん(GUNちゃん?))が乗っている車は、明らかにアメリカ製の「ウイルスジープ」です。なぜジープなのかは後半ストーリーを追っていくと、納得出来ます。山道を走るには普通乗用車より四輪駆動車が動きやすいに決まっています。バイクを自由に操る「ワイルド7」の如く。実際1960年頃までは、まだ進駐軍が一部日本に残っていて、不要になったジープとか車両を日本に払い下げて帰っていったそうで、そういう歴史的事実からも新聞記者がジープで活動していても全然違和感がありません。(そういえば日活映画「ギターを持った渡り鳥」の小林 旭もジープで登場していました。)
さて、ページをめくって2ページ目で主人公と敵対するギャング、そして主人公の助っ人が登場します。ジープの袖についている旗には「増刊新聞」と書かれています。新聞社の記者のようですが実はこの同僚キャラクター、当作担当の編集記者さんだそうで、どことなく「草波」に似ているように私には思えました…。そういえば主人公もどことなく飛葉の顔に似ているような…。
望月先生は1960年にデビューされ、1964年には「秘密探偵JA」を、1969年に「ワイルド7」を発表されておられます。主人公のイメージはある程度決まっていたようです。
ここで、いつのまにか、がんちゃんがライフルを握っている事に気がつきました。いつの間にライフルを手に入れた?最初のページに戻って読み直すと、1ページ目で玄関から出てきた大使が手に握っていたライフルをしっかり武器にしています。この辺の伏線の張り方はさすがです。追跡の途中でのユーモラスは表現も忘れておられません。森に突っ込んで出てきた時に、小鳥の巣が記者の頭に乗っかっているのは、「ルパン三世 カリオストロの城」の元ネタではないのかと思うほど、シリアスな中にもお笑いのエッセンスを忘れずに入れられるところは後年、傑作コメディ「ビタミンⅠ」等の作品で読者、ファンを楽しませた望月先生のコメディ作家としての源泉を見たような気がします。
クライマックスの乱闘シーンを見ていて思ったのですが、1960年初頭の時点で、これほど大胆でエキサイティングな構図を描いていた漫画家は他にはいらっしゃらなかったと思います。まるでアクション映画を見ているような、素早い動きのあるコマワリと3次元構図の連続に読者はあっという間に望月漫画の魅力に吸い込まれて行ってしまいます。
大団円のシーンでは、ジープとカメラのフラッシュが武器となり見事悪人どもを捕える事が出来ました。最後のカットでがんちゃんが『ぷっ』と笑うシーンは、飛葉が時折見せていた笑顔に通じるものを感じました。またENDマークに二人の男がペンと墨汁缶を背負って歩く後ろ姿というのは、望月先生なりの何かのサインだったのでしょうか?
===========================================
月刊望月三起也ではみなさんからの投稿をお待ちしています。
「望月マニ也」「作品紹介」のほか書式や内容は自由、採用者は「月刊望月三起也」で掲載。
また掲載された方には、望月先生書き下ろし特製ポストカードをプレゼント!
是非、月刊望月三起也事務局までメールを送ってください。
お待ちしております。
info@wild7.jp
===========================================
今回その幻の作品を発表から丁度50年目に、この場で紹介をさせていただく事になりましたeddy-sです。
過去唯一「特ダネを追え」についての記述があるのは、望月先生自身が「月刊少年ジャンプ」(1974/6/1号)漫画家自伝シリーズ「カエルが燃えるとき」の中で、簡単に当時の事をご自身で描かれたぐらいです。それを初めて読んだ時はタイトル名が書いてなかったので、なんという作品かわからなかったのですが、今回この記事を書く為に改めて読み直してみたら、しっかりタイトルが小さく書いてありました。いや、望月先生芸が細かい。
たしかに当時の漫画雑誌の表紙はさっぱりとしたもので、せいぜい付録のお知らせが書いてある程度でした。(ちなみに、「カエルが燃えるとき」は、現行刊行中のぶんか社文庫「ロゼ・サンク」に収録してあります。タイトルにもなっている『ワイルド7外伝 ROSEV』も読み応え満点です。まだ持っていない人は直ぐ書店に行って購入しましょう!!)
読後の率直な感想を言いますと、よく8ページ(実質7ページ)で話をまとめられたなと思いました。望月先生は当時19歳 、しかも独学で漫画を描かれていた頃だと思います。ストーリー漫画を実際に描いた事がある人ならわかると思いますが、20~30ページぐらいあれば起承転結のストーリーを描くのは何とか出来ますが、ストーリーものでわずか8ページの話を作ることがいかに大変な事か。
与えられた少ないページの中、本来ならタイトル表示だけで終わってしまう貴重な最初の1ページを、扉絵の上の部分に話のプロローグのカットを入れる事で、次どうなるのだろうとページを捲りたくなる読者心理をうまく利用し、且つ、タイトル名を含んだクライマックスシーンを挿入する事で、一目瞭然で内容がわかり一石二鳥の役目を果たしています。
さらに、その後の望月漫画の名物とも言える銃器・メカニックを出来る限りリアルに描くという点でも。既に第一作の扉絵に、アメリカのギャング映画でおなじみのアメリカ製「トンプソンサブマシンガン」を悪人が構えています。特徴のあるドラムマガジンも左手のグリップも うまく捉えて描写されているので一目で「トンプソン」とはっきりわかります。悪人の恰好も、当時の日活映画や東映映画に登場するギャングの恰好そのもの。当時はギャングの恰好と言えば、帽子に覆面にトレンチコートにサブマシンガン(なぜか必ずトンプソン)とダイナマイトと、この5点セットがギャングの七つ道具でした。いかにもアクション映画が大好きだった望月先生らしい描写です。
一方、主人公と思われる少年(名前はがんちゃん(GUNちゃん?))が乗っている車は、明らかにアメリカ製の「ウイルスジープ」です。なぜジープなのかは後半ストーリーを追っていくと、納得出来ます。山道を走るには普通乗用車より四輪駆動車が動きやすいに決まっています。バイクを自由に操る「ワイルド7」の如く。実際1960年頃までは、まだ進駐軍が一部日本に残っていて、不要になったジープとか車両を日本に払い下げて帰っていったそうで、そういう歴史的事実からも新聞記者がジープで活動していても全然違和感がありません。(そういえば日活映画「ギターを持った渡り鳥」の小林 旭もジープで登場していました。)
さて、ページをめくって2ページ目で主人公と敵対するギャング、そして主人公の助っ人が登場します。ジープの袖についている旗には「増刊新聞」と書かれています。新聞社の記者のようですが実はこの同僚キャラクター、当作担当の編集記者さんだそうで、どことなく「草波」に似ているように私には思えました…。そういえば主人公もどことなく飛葉の顔に似ているような…。
望月先生は1960年にデビューされ、1964年には「秘密探偵JA」を、1969年に「ワイルド7」を発表されておられます。主人公のイメージはある程度決まっていたようです。
ここで、いつのまにか、がんちゃんがライフルを握っている事に気がつきました。いつの間にライフルを手に入れた?最初のページに戻って読み直すと、1ページ目で玄関から出てきた大使が手に握っていたライフルをしっかり武器にしています。この辺の伏線の張り方はさすがです。追跡の途中でのユーモラスは表現も忘れておられません。森に突っ込んで出てきた時に、小鳥の巣が記者の頭に乗っかっているのは、「ルパン三世 カリオストロの城」の元ネタではないのかと思うほど、シリアスな中にもお笑いのエッセンスを忘れずに入れられるところは後年、傑作コメディ「ビタミンⅠ」等の作品で読者、ファンを楽しませた望月先生のコメディ作家としての源泉を見たような気がします。
クライマックスの乱闘シーンを見ていて思ったのですが、1960年初頭の時点で、これほど大胆でエキサイティングな構図を描いていた漫画家は他にはいらっしゃらなかったと思います。まるでアクション映画を見ているような、素早い動きのあるコマワリと3次元構図の連続に読者はあっという間に望月漫画の魅力に吸い込まれて行ってしまいます。
大団円のシーンでは、ジープとカメラのフラッシュが武器となり見事悪人どもを捕える事が出来ました。最後のカットでがんちゃんが『ぷっ』と笑うシーンは、飛葉が時折見せていた笑顔に通じるものを感じました。またENDマークに二人の男がペンと墨汁缶を背負って歩く後ろ姿というのは、望月先生なりの何かのサインだったのでしょうか?
長々と書かせてもらいましたが、以上が望月三起也先生の記念すべきデビュー作『特だねを追え』のご紹介と感想、現在では掲載誌である「増刊少年クラブ」の入手は限りなく難しい状況にあると思います。発見の折はぜひ入手しその記録のためにも先生のファンとして大切に保存をしていきましょう。
===========================================
月刊望月三起也ではみなさんからの投稿をお待ちしています。
「望月マニ也」「作品紹介」のほか書式や内容は自由、採用者は「月刊望月三起也」で掲載。
また掲載された方には、望月先生書き下ろし特製ポストカードをプレゼント!
是非、月刊望月三起也事務局までメールを送ってください。
お待ちしております。
info@wild7.jp
===========================================
eddy-s さんのプロフィール
【望月三起也先生より】
デビュー作って、おこがましいねぇ。
当時「少年画報社」「集英社」「講談社」「秋田書店」と持ち込みやってました。30ページくらいの短編あがると各編集部へ持っていき見てもらう訳です。
あちこち手直しを指摘されて描き直し、また再度トライってこと1年ほど続けました。
その中で『少年』って月刊雑誌が「光文社」から出版されてまして、そこの編集者の桑田さん、この方が実に適切なアドバイスをくれる、殆んど漫画教室といっていいくらい漫画の描き方のA to Zを教えてもらいました。
何しろこっちはシロウト、描き方のABCも判ってない時ですから有り難かったですねぇ。 夢中で何本か描いては持って行きを繰り返し、いずれここで採用されるのではないかと期待し、下駄をすり減らし10日に一度は通ったでしょうか。
ちなみに当時は靴も買えない超ビンボー、だから下駄なんで別に浴衣で通った訳じゃない。長く履いているうち歯がすり減って草履状態。これでとんだギャグをした覚えがあるんです。
光文社へ持ち込み何度目かの折、突然の雨。傘を持たずに出たもんで駆け出しました。
やっとの思いで編集部へ到着、待たされているうち大分服も乾いてはきましたが、現れた桑田編集さん、いきなり「どうしたの?」って私を見ていうのですよ。
私???
「その頭は?」と、窓ガラスに映った私のその姿は、頭のテッペンがモヒカン状態に真っ白、というより白茶色か。後ろもまた背中から腰まで線が入っているって洒落にならない状態。
実は雨の中駆けると、水しぶきが弧を描いて己の頭にまでかかるんですねぇ。それが泥水状態だったもので、濡れてる時は気づかなかったのですが、乾いて水気が抜けたら泥だけが残ってしまったってわけ。
まァ なんとも恥かしい姿を晒してしまったもんです。
普通下駄ならここまで跳ね上がらないのですが、チビて草履状態になってからなんですねぇ。
その姿が哀れに見えたのか桑田さん、実ははっきり言ってうちの少年って雑誌は一流の先生しか載せない方針なの、新人採用した例はない、だからチェックは私個人して出来るけど、デビューは諦めてと・・・・
『姿も心も最悪!!の1日だァ』 とショボクレの見本でしたね。
が、次の一言が「実は講談社の「少年クラブ」ってところに友人がいる、いま増刊号の企画していて紹介するから行ってごらん」と、まさかまさかの桑田さんの後押しの一言が効いたのか、8ページだけど依頼されたんです。
雨降って地固まるってことわざ地で行った話、いやもう嬉しくって、その嬉しさで頭の中真っ白。
この日は表も裏も真っ白けでした。
自分の絵が堂々「少年クラブ」に載った、それを開いて見たときの感動、感激・・・・・
多分74年ワールドカップ、ブラジルvsオランダ戦でJ・クライフの生の凄さを現地ドイツで観たときと甲乙つけがたいといえます。
これで漫画家になれた、長いこと持ち込み続けてやっとデビュー、この作品を見た各誌からきっと依頼が来るぞと期待。
待てど暮らせどどこからも声が掛からないとは思いませんでしたね。
思い上がりって恐ろしいですねぇ、己がまったく判っていないんですから。
今見たら、よくまァ載せてくれたものと恥かしい話です。
桑田さんって、いい人だったのです。
デビュー作って、おこがましいねぇ。
当時「少年画報社」「集英社」「講談社」「秋田書店」と持ち込みやってました。30ページくらいの短編あがると各編集部へ持っていき見てもらう訳です。
あちこち手直しを指摘されて描き直し、また再度トライってこと1年ほど続けました。
その中で『少年』って月刊雑誌が「光文社」から出版されてまして、そこの編集者の桑田さん、この方が実に適切なアドバイスをくれる、殆んど漫画教室といっていいくらい漫画の描き方のA to Zを教えてもらいました。
何しろこっちはシロウト、描き方のABCも判ってない時ですから有り難かったですねぇ。 夢中で何本か描いては持って行きを繰り返し、いずれここで採用されるのではないかと期待し、下駄をすり減らし10日に一度は通ったでしょうか。
ちなみに当時は靴も買えない超ビンボー、だから下駄なんで別に浴衣で通った訳じゃない。長く履いているうち歯がすり減って草履状態。これでとんだギャグをした覚えがあるんです。
光文社へ持ち込み何度目かの折、突然の雨。傘を持たずに出たもんで駆け出しました。
やっとの思いで編集部へ到着、待たされているうち大分服も乾いてはきましたが、現れた桑田編集さん、いきなり「どうしたの?」って私を見ていうのですよ。
私???
「その頭は?」と、窓ガラスに映った私のその姿は、頭のテッペンがモヒカン状態に真っ白、というより白茶色か。後ろもまた背中から腰まで線が入っているって洒落にならない状態。
実は雨の中駆けると、水しぶきが弧を描いて己の頭にまでかかるんですねぇ。それが泥水状態だったもので、濡れてる時は気づかなかったのですが、乾いて水気が抜けたら泥だけが残ってしまったってわけ。
まァ なんとも恥かしい姿を晒してしまったもんです。
普通下駄ならここまで跳ね上がらないのですが、チビて草履状態になってからなんですねぇ。
その姿が哀れに見えたのか桑田さん、実ははっきり言ってうちの少年って雑誌は一流の先生しか載せない方針なの、新人採用した例はない、だからチェックは私個人して出来るけど、デビューは諦めてと・・・・
『姿も心も最悪!!の1日だァ』 とショボクレの見本でしたね。
が、次の一言が「実は講談社の「少年クラブ」ってところに友人がいる、いま増刊号の企画していて紹介するから行ってごらん」と、まさかまさかの桑田さんの後押しの一言が効いたのか、8ページだけど依頼されたんです。
雨降って地固まるってことわざ地で行った話、いやもう嬉しくって、その嬉しさで頭の中真っ白。
この日は表も裏も真っ白けでした。
自分の絵が堂々「少年クラブ」に載った、それを開いて見たときの感動、感激・・・・・
多分74年ワールドカップ、ブラジルvsオランダ戦でJ・クライフの生の凄さを現地ドイツで観たときと甲乙つけがたいといえます。
これで漫画家になれた、長いこと持ち込み続けてやっとデビュー、この作品を見た各誌からきっと依頼が来るぞと期待。
待てど暮らせどどこからも声が掛からないとは思いませんでしたね。
思い上がりって恐ろしいですねぇ、己がまったく判っていないんですから。
今見たら、よくまァ載せてくれたものと恥かしい話です。
桑田さんって、いい人だったのです。
固定リンク | トラックバック(3)
2010/09/01 at 10:37 PM
Eddysさん、貴重な作品をよく探して公開してくださいましたね。ありがとうございます。とても興味深いです。コマに番号があります。たしかに、8ページですが、幾つコマを使ったのか知りたくなりました。絵描きなので、絵を見ています。先生は謙遜されていますが、 感心しました。なるほど、人物デザインは現在の先生のレベルとは違います。でも、確かな、perspectiveなのです。日本語でどういえば良いのか分かりませんが、一点透視などの遠近感がすごく正確なのです。背景や建物がしっかり描けているのです。それと、誇張も上手です。遠近感を強調して有るのです。(="短縮方"とにほんごで、呼んだと思います、有名な例ですと、ミケランジェロのシステイナ礼拝堂の天地創造がいい例です。)ジープがperspectiveの割合を誇張してあるので、跳びだして見えるし、背景が引っ込んで、奥行が出ています。それと、Eddysさんご指摘の通り、デッサン力があるので、動きがリアルです。また、面白い作品をuploadしてくださいね。
Kind regards,
Sadami
2010/09/01 at 11:33 PM
貴重な作品の発掘、ありがとうございます。
できれば全ページ読めるようにして頂けると嬉しいのですが....
アクションシーンですが、主人公が悪人をぶん殴るコマが特に凄いですね。ジープのフロントガラスが割れちゃっている。
音は描き込まれていないけど、「ガチャーン」という音が聴こえてくる。これぞ望月マンガですよね!
アクションシーンの最も基本である殴打シーンですが、最近のマンガではこれがとても貧弱な気がします。
先生の作品は最初っから凄かったのですね!
2010/09/02 at 7:57 PM
> ぐりゅーん・へるつさん
全ページ掲載となると数々の諸問題がそこに横たわります。
写真一枚、文言一行でもそれらに係わる事柄をクリアしなくてはならないことも多々あるのです。
もちろん、これらはご理解の範疇だと思いますが・・・・・
すでに事務局でも、この『特だねを追え』の全ページ掲載を思案、
望月先生ご本人からは真っ先に許諾いただき、現在他関係各所への許可申請を考慮中です。
いつになるかはお約束できませんが、近い将来全ページ掲載が出来るよう交渉の予定です。
月刊 望月三起也 事務局