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作品紹介

第14回

サムライ教師ボギー

執筆者:   2009 年 9 月 4 日

今回取り上げるのは、80年代に登場した型破りな教師が大活躍するまさしく「問題作」です。
はたしてこれは望月流の教育論なのか!?とくとご覧あれ

本作は1981年に週刊プレイボーイに連載された、教師を主人公とした学園コミックである。私はこの作品を、60年代の「秘密探偵JA」、70年代の「ワイルド7」「俺の新選組」に続く、80年代の望月先生の代表作と考えている。この時代は「ヤング○○○」といった青年コミック誌の創刊が相次ぎ、本作もそうしたヤングアダルト向けの作品だが、このカテゴリーでの先生の代表作ではないかと思う。それほど個人的に大好きな作品である。

 

主人公の「ボギー」こと頼近先生は、望月名キャラクターの一人に数えられる存在だろう。チリチリパーマに太い眉。一見クールで利己的だが、根は義侠心に富んだ好漢。先生もこのキャラクターがお気に入りなのか、「黒い砂-ブラックサンド-」(1982年)の「サブちゃん」や、「愛と青春の100大隊(ワンプカプカ)」(1984年)の「サム・雷田」など、他作品にも中心キャラクターとして「出演」させている。

さて、作品の内容に入ろう。舞台は横浜の私立高校「横巾高校」。歴史ある伝統校であり、かつては名門だったらしいが、近年は「暴力学園の代名詞」と呼ばれるまでに成り下がっている。徐々に明らかにされるが、この原因は教師たちの「事なかれ主義」にあった。生徒たちと真正面から向き合わず、臭い物に蓋をしようとする。その中途半端な「マアマア教育」が生徒たちを巨大な怪物にしてしまったのである。現実社会でも、卒業式の際の「お礼参り」対策として警察の介入が常態化するなど、校内暴力が社会問題化していた時期だった。こうした教育問題への望月先生からの回答(処方せん)が「サムライ教師ボギー」だと考えている。

本作のタイトルは「サムライ教師」と「ボギー」の2つの語からなっている。「サムライ教師」とは、主人公が会津藩士の末裔で、会津のサムライ魂を継承していることを示している。「ボギー」は、ご存知ハンフリー・ボガートの愛称。頼近先生は、仏壇にボギーの写真を祀り毎朝自慢の珈琲を供えているというほど、ハードボイルドの代名詞・ボギーを敬愛しているのである。

教育をテーマにした作品に「会津」を登場させたことには大きな意味があると思う。会津藩における藩士の子弟教育組織「什」では、次の7箇条の心得を誓い合っていたという。
一、年長者の言ふことには背いてはなりませぬ。
一、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ。
一、虚言を言ふ事はなりませぬ。
一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
一、弱いものをいぢめてはなりませぬ。
一、戸外で物を食べてはなりませぬ。
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ。


ならぬことはならぬものです。
その後の会津藩の歴史を考えると、最後の「ならぬことはならぬ」に強い感慨を覚える。

この「ならぬことはならぬ」を信条とする会津のサムライ精神とボギーのハードボイルド精神を合わせ持った「サムライ・ハードボイルド教師」が、暴力学園で孤軍奮闘するのが本作のおおまかな筋である。

しかし、これだけだけでは本作の魅力を半分も表現出来ていない。頼近先生というキャラクターの魅力が極めて大きいのである。「サムライ・ハードボイルド教師」と書くと「固い」イメージを持たれると思うが、頼近先生は超アンチヒーロー型の主人公であり、掲載誌のジャンルが異なるとはいえ、品行方正な「飛鳥次郎」との圧倒的な距離感には眩暈を覚えるほどである。このキャラクターの幅広さは「巨匠」ならではのものだろう。


頼近先生を語るには、「言葉」「経歴」「ファッション」を外すわけには行かない。
まず「言葉」。英語教師である頼近先生は女生徒たちが聞き惚れるような流暢な英語を話すが、日本語の方は「これじゃアンベエ悪いガ?」「コワイじょっこだナシ」といったキツイ会津弁。この落差が最高に面白い。また、極道モノにおける広島弁のように、方言は「違った価値観を持ったキャラクター」を表現するのに有効である。頼近先生の会津弁は「サムライ教師」のキャラクター性をうまく引き出していると思う

次に「経歴」。履歴書には「外国留学」「無線技士のアルバイト」と書いてあるそうだが、頼近先生は教師になる前、アフリカで傭兵の無線係をしていたのだ。英国人の戦友たちと死線を彷徨う中、まさに「実戦」で身に付けたイングリッシュなのである。この発想、いかにも望月先生である(他の誰に出来ようか?)。また、「アフリカで傭兵」からは「夜明けのマッキー」を、「流暢なイギリス英語」からは飛葉大陸を連想させるのもファンとしては楽しい。頼近先生の戦闘能力には傭兵経験が活かされているようだが、飛葉にも傭兵経験があり、そこで実戦経験を積み、英語も身に付けたのでは?と妄想が膨らむ(イギリス人のガールフレンドの話は、暴力警官を愚弄するための方便と解釈)。



そして「ファッション」である。ヤマハ XV750 Specialのカスタムで颯爽と登校する頼近先生は、革ジャン、ブルージーンのバイカースタイルである。作品中「ホモのファッションしやがって」「会津じゃクルージングはまだ流行ってねえ」といった意味のセリフのやり取りがある。「クルージング」とは、この年に日本公開されたハードゲイのカルチャーを描いた映画のことで、主演のアル・パチーノ(潜入捜査官)のゲイファッションが話題になった。これがレザーのバイカースタイルなのだが、このゲイファッションの原点は1953年公開の「乱暴者(あばれもの)」に登場するアウトロー・バイカーたちのファッションだとされている。主演は若き日のマーロン・ブランド。頼近先生のファッションは、ブランドが演じるバイカーグループのリーダー「ジョニー」に由来するものと思われる。

この映画は、アウトロー・バイカーを史上初めてヴィジュアル化し、そのイメージを固定した作品として名高い。内容的にも「イージー・ライダー」の元祖、アメリカン・ニューシネマの元祖とも言われている。原題が「The Wild One」ということも興味深いところだ。主人公ジョニーは、ラスト近くで、保安官に「お前は何に反抗している? 自分でも分からないんだろう」と言われる。ジョニーは自分のスジを通すために「反抗」しているが、具体的な目標、目的を持っている訳ではない。これは頼近先生にも共通する部分でもある。

頼近先生は日本の教育界を正すために教員になったわけではないのだ。同郷の親友に誘われ、オシャレな横浜でカワイイ女生徒たちに囲まれて楽しく過ごせるんじゃないかという、実に安易な動機で就職する気になっただけ。作中で「教師の姿は世を忍ぶ仮りの姿」というセリフもあるし、ハマの暴走族のリーダーという裏の顔もある。頼近先生の実態は謎に包まれているが、教職に燃えているのではないことだけは確か。腐った学園組織を改革しようとか、そんな目的は微塵も持っていない。「ならぬことはならぬ」の精神で、生徒や自分自身に降りかかる問題に真正面からぶつかり、真摯に対処しているだけだ。高邁な理念や思想に基づいて行動するのではなく、「行動」が彼の「思想」になっている。この点に「ワイルド7」や「俺の新選組」のキャラクターたちとの共通性が感じられ、私が惚れ込んでいる部分なのである。「行動者の美学」こそ、望月キャラクターの魅力ではないだろうか?

本作の最終章は北海道への「殴り込みツアー」である。ワイルド7の「魔像の十字路」や「俺の新選組」の最終局面は「北の大地」になるはずだったと思われるが、果たされていない。(「魔像の十字路」に関しては私見。拙稿「作品紹介 魔像の十字路」 を参照)その点で本作は前2作の「遺志」を継いでいるようにも感じられる。その他、先生の他作品との関係が深いのも本作の魅力のひとつだ。「ジャパッシュ」の日向光が「裏番」として登場、「面従腹背」で欺きつつ頼近先生を窮地に陥れる。「俺の新選組」の芹沢鴨と新見錦が暴力団幹部として出演、火花を散らす。芹沢似のキャラクターの扇子には「害虫報国」と描かれている(オリジナルは「尽忠報国」)。潔癖症の同僚女教師はイコに、女暴走族「女(アマ)ゾネス」のリーダーはユキに似ている気がする。また「騒世記」の女生徒の姿も。そんな風に望月キャラクターを探す楽しみもある。

望月先生はバイオレンス描写において右に出る者がいない存在だが、学園モノである本作でもその才は遺憾なく発揮されている。頼近先生は決して無敵の存在ではない。超人的な戦闘力、タフネスさを備えているわけではない。そこが、よくある学園バイオレンス作品とは本質的に違うところだ。



頼近先生は着任早々クラスの悪の4人組から体育館で「歓迎パーティ」と称する暴行を受けてボコボコにされるが、復讐を狙う頼近先生は4人組の登校ルートを調べ上げ、待ち伏せして個別に制裁を加えて行く。タオルに石を詰め込み、遠心力を利用した打撃武器(ダビデの投石器に似ている)を使って。彼は基本的に素手で戦うことはしない。また、数的に優位な状況でないと戦いを挑まない。タイマンの場合は武器を使用し、殴り込みには相手以上の人数を揃える。奇襲攻撃も基本だ。「どこがサムライなんだ」という声も聴こえてきそうだが、これらは著名な戦闘機エースパイロットの空戦哲学とまったく同じであり、リアルなバトルでは鉄則なのである。このようなバイオレンス描写は一見カッコ悪いのだが、青少年が一定のリアリティを持って読める学園モノで、荒唐無稽な無敵のバイオレンス描写を行うと教育上良くないという先生の判断があったのではないかと思っている。もちろん、こうした描写が作品としての面白さ、キャラクターの個性を増幅させる効果を生むことも考えられているだろう。

最後に、この作品が以後の作品に与えた影響を指摘しておきたい。私はマンガ研究家ではないのでハッキリしたことは言えないのだが、この作品より前に「バイオレンス教師モノ」というジャンルは存在しなかったように思う。主人公である教師が極道だったり暴走族あがりのワルで、ワルさもするしケンカもするが、同じくワルの生徒たちと真正面からぶつかり合って行くような作品だ。私の記憶では80年代後半ごろからこうした作品が出始め、2009年現在でも映画化されるほど、このジャンルの作品は人気がある。「ワイルド7」や「俺の新選組」と同じように、本作も新たなジャンルを開拓した先駆的な作品だと考えている。「元祖」としての功績、作品の魅力を現代に伝えるためにも、ぶんか社からの再刊を心待ちにしている者である。

本作は2009年現在、eBookJapanより電子書籍として発刊されている。

eBookJapan-サムライ教師ボギー
http://www.ebookjapan.jp/ebj/book/60022254.html


望月先生のコメント

人が西向けば私は東。ブーム、流行にもそっぽを向く天邪鬼って性格の私。漫画にむいているんですねぇ。
漫画は個性、人と同じもの描いていたらファンは着いて来ないね。俺だ、俺だ、俺の魅力はこれだとアピールすることでファンになってくれるし、一度なったらずっとずっと長ァ~く付き合ってくれる。そうなれば、もっとファンに喜んでもらいたいと、さらに俺じゃなきゃ描けないだろうって内容、キャラクターにも新鮮さ、追求するわけですよ。 以前から編集さんによく言われたことが、「3年早かったね、あの企画」ってこと。 なんでも流行る前にやっちまう。服装もそうなんですけど、困るのは流行ると着られなくなる。流行りを追ってると思われるのが恥かしいでしょ。

そんなひとつがベスト。
何十年にわたってTシャツの上にベストが好きで、ちょっと変わったデザインだとつい買い込む。特に海外旅行では、1度に6着買っちまったことも。布製ではフランスのデザインがいい、革ならイタリー。
デザイン中心に選びますから値の張るものは手を出しません。イタリアなんて3千円から6千円で粋なデザイン、ごろごろしてますから。
多分ベスト好きは、若い頃の革ジャン好きから派生してるんだと思います。
革ジャン イコール バイカー。ハーレーの集団でアメリカ各地を旅する映画なんかで育った世代ですから、そのバイカーが革ジャンの袖ちぎってベストとして着てるのがカッコよく見えて。恐ろしく影響されてんでしょうね。
『サムライ教師ボギー』にそのまんま、自分の憧れ、出てるようです。

また、まじめな教師ではない学園物があってもいいんじゃないかと、天邪鬼な性格出てたのもこの作品。
その後パワフルな教師物、流行ったようで、これも先走った流行先取りだったかもね。



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