月刊望月三起也タイトル画像
作品紹介

第51回

カエルが燃えるとき

執筆者:   2013 年 2 月 6 日

ファンならば気になる望月先生の幼少時代やデビューまでの道のり。ほとんど語られたことがなく、この「カエルが燃えるとき」も長い間幻の作品扱いでした。

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漫画家先生の自伝というのは沢山有ります。

一部を除き、その先生本人が描くのが大半だと思うのですが、
どの様な経緯で漫画家になったのか?デビュー作は?・・・

それらは勿論の事、生い立ち、家族構成、趣味趣向に至るまで
ファンというのは勝手なモノで兎角いろいろと知りたいのです。

『望月三起也』

漫画が好きな人であればこの名前を知らないヒトはいない!!と
ワタクシは思うワケですが、望月先生の自伝的なモノについてと
なると知られていない、知らない話も多いのではないか?と思います。

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斯く言うワタクシも恥ずかしながら『ぶんか社コミック文庫』の『ROSE Ⅴ(ロゼ・サンク)』に併録されるまでは
殆ど知りませんでした。それまでは雑誌で3回程掲載され、読む機会があったのですが如何せん雑誌・・・。

タイミングを逃すと中々読む事は出来ない(後述の初出参照)のがツライ所ではあります。今の様にネット
環境の無い時代のお話ですし、そんな先生の自伝漫画があったのかさえご存知なかった方も多いンじゃ
ないかと思うのです。それを僭越ながら、今回ご紹介させて頂く事となりました。

御用とお急ぎで無い方は、是非ご一読して頂きたいと思います。

タイトルは・・・『カエルが燃えるとき』

そのストーリーは・・・

終戦間近に控えた昭和20年5月29日、米軍の爆撃機が爆弾を投下する場面から始まります。『横浜大空襲』、調べる
と当時の凄惨な状況を知る事が出来ますが、当時小学1年生だった望月先生がその時にどの様に感じたのか3ページ
の中に纏められていました。

住む家を焼かれたよりも色鉛筆やテンプラを失ったのが残念だったと考えていた所なんかは、後の「大物」振りが伺え
知れます。

そして小学5年生の時、望月先生は手塚先生の『新宝島』にショックを
受けて漫画家になる決意をしたそうです。

・・・そう考えると手塚先生の功績は計り知れないですね。

「だがしかし漫画家への道はとおかった」とは先生の弁。

それから中学生時代、その頃の先生の日常が興味深く描かれていました。『へび屋』なんてこれを読むまで知りませんでしたよ、先生!(笑)

戦後のドサクサ的な話はワタクシも祖母や母親から聞いていましたが、さぞかし大変だった事と思います。
そんな中、当時色々な漫画雑誌に投稿をされていた先生、意外な事に残らず落選って?・・・ホントですか!?

読み進めていくと失礼ながら余り裕福じゃなかったのが分かります。先生のお父様は宮大工をされている昔ながらの職人気質。お母様が大変な苦労をされていた様子が何ページにも渡り綴られていました。










そんな望月家は『亭主関白』か?と思うシーンもあるのですが、『かかあ天下』の一面もある実にバランスの取れた(?)家庭だったンだなァ・・・と感じるシーンもありました。しかし涙なくして読めないですヨ!望月先生!

(申し訳ありません、不謹慎ながらチョット酔いながら書いてます・・・苦笑)

工業高校の建築科を卒業後、サラリーマンになってからもずっと絵を投稿し続けてた先生。

本文には、いっこうに入選せず・・めがでず・・・あえなく落選・・・討ち死に・・・とありました。

「おれはひょっとして漫画家にむいてないのだろうか・・・・・・?」

「24時間動きもせず思いつめた・・・・・・軽いノイローゼ状態だったのだろう」


先生の台詞とは思えないネガティブな発言、それ程この時には追い詰められていたのでしょう。しかし家の前にあった小さい池で見たカエル、失敗してもめげずに繰り返し柳に飛びつこうとする小野道風(おののとうふう)の言葉を思い出し、それに自分を重ね『カエルぷろ』が出来たそうです。

ここでやっとタイトルの意味が分かりました。
(←この名刺は今でも先生の書斎にあるみたいですネ)

そして『少年クラブ』でデビュー、詳しくはコチラをご覧下さい。

しかしその後も順風満帆にはいかず苦労の連続、その下積みの苦労があったからこそ今の望月先生があるンだなァ・・・と妙に納得してしまいました。直ぐ簡単に諦めたり投げ出したりする今の若い人にも是非読んで欲しい!と思う一編です。作品の中には漫画家になろうとハッキリ志したシーンも出てきます。

そんな先生の苦労が報われる瞬間が昭和48年にありました。ファンの皆様にはご存知の『ワイルド7』100万部突破記念の出版文化賞、ジャンプ愛読者賞の2つのタイトル。

100万部突破記念というとワイルド7『地獄の神話』の中、神話太郎『百万部突破記念パーティー』というシーン。時期的に見て先生の受賞とダブって見え、思わずニヤリ。

(Who likes not his business,his business likes not him.)
『好きこそ物の上手なれ』を地で行く望月先生、素晴らし過ぎます。

『ムサシ』が連載になり足かけ15年の頃、お母様に箪笥をプレゼントする為に買いに行くシーン。

これには目頭が熱くなります。感無量の瞬間・・・だったと思います。

母親を想い、父親をリスペクトしているのが作品を通じてよく分かりました。

何処か憎めない『飄々』とした感じのお父様が、望月先生と重なって見えます。

先生は文庫のあとがきで『カエルが燃えるとき』は、失敗だった様な事を書かれていましたが、ファンはもっと沢山『望月三起也』の事を知りたいのです!

なので少しでも先生の歴史が分かるこの作品は、大事な一編だと思う訳です。


ただ、残念なのは全31ページと短い事。そういう意味ではファンには消化不良。

是非、続編!というのは難しいと思うのですが、もっと詳細に描かれた『新・カエルが燃えるとき』を読んでみたいと切に思います。・・・如何でしょうか?望月先生!

これを読んでご賛同頂けた方がいらっしゃいましたら下部のコメント欄に書き込んで下さい!

アナタの一言が漫画家『望月三起也』を動かすかも知れないのですから!!

はァ・・・ホント、ファンとは勝手なモノです。(今回はいつも以上に乱筆、乱文失礼致しました。)

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『カエルが燃えるとき』

1974年 別冊少年ジャンプ(集英社)6月1日号

1975年 少年ジャンプ増刊(集英社)1月10日号(再掲載)

1987年 コミックバンバン(徳間書店)別冊第2号(再々掲載)

2008年 ROSE Ⅴ(ロゼ・サンク)(ぶんか社)単行本初収録

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月刊望月三起也ではみなさんからの投稿をお待ちしています。
「望月マニ也」「作品紹介」のほか書式や内容は自由、採用者は「月刊望月三起也」で掲載。
また掲載された方には、望月先生書き下ろし特製ポストカードをプレゼント!


是非、月刊望月三起也事務局までメールを送ってください。
お待ちしております。
info@wild7.jp
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望月先生のコメント

かえる、カエル、帰る、初心に帰る・・・・・
そういう事ありますねぇ、前ばかり見て歩くときに欲が先に歩いていたりする。欲といっても色々、金銭だったり名誉だったり。まァ、色の方は大分醒めてますけど、絵の方の欲としてはイロッペェシーン、まだまだトライしたい。
そんな折、過去の変な作品、思い出させてくれましたね。たまには後の足跡を見てみたら?と、言われている気がする。前の足跡見たら、そりゃ情けないもんね。それって退歩してるってことでしょ?だから私はゲレンデにシュプール描きたい、慣らされた雪の上より新雪蹴散らして滑る!“未知”、俺が最初!ってのがいいんだなァ。へそ曲がりだから、ひとの跡とか2番手って嫌なんです。

そういう性格も親父似なんだな、と思い起こさせるのがこの一編。
今や親父の歳に近くなるとやっぱり親子、やってること、なんか似てる。この“唯一”他人には真似できないってことのトライ、親父譲りなんだと感じています。
特に子供のころ自宅の仕事場で、御輿(みこし)の彫り物から金細工まで他人の手を一切借りることなく一人で仕事をしている姿じっくり見ていれば似てくるのかもね。
でも、跡を継ぐ気にはなれなかった。
親父としては当然、昔からの絵図面やら特別な道具を息子に繋いで残していきたかったろうと思うんですが、私にはとても手の出ない難しい世界。指物(さしもの)といって、それは難しい計算と図面がある上、龍の柱なんて一本の木から彫り貫くンですよ。立体の計算、とても手がでない。親父を「見事!」としか言えない。
その上、伊豆の方の大きなお寺で佛現寺なんてところの宮大工として一ヶ月も家を空けて夢中で仕事してくる。家庭より職人の生活優先ですから、それは職人としてその上を狙えませんよ。難し過ぎ。
多分親父は名人だったんだと思います。
今でも我が家の片隅に親父の造ったお宮様があります。初午(はつうま)とかでお祝い事を続けてますが、屋根の銅版葺き(こうはんぶき)まで自力で作り、組子の細工など、どうやったらこういうことが出来るのか判らない謎のつくり。相変わらず親父に感心しています。
なんとかその名人を越えたいと別の道『漫画』を志して今日も尚、一生で一度でも納得できる作品を作りたいと思っちゃいるんですがね。
親父が生きているうち、一度も褒められたことないし、私の作品も読んだこともないんじゃないかな? そのことでは一度も話した覚えがないからね。
昔堅気で褒めない親父だけど、怒ることもしない。ただ“男らしく”。ここだけがうるさく教育された。
親父の遺産は“男らしく”の一言かも。
これ、私の作品の一生のテーマ。これからも描き続けたいと思っています。

久々に親父を想い出させてくれました。ちっちさん、ありがとう。
改めて今の自分を見つめ直す機会にもなりました。




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コメント/トラックバック

  • なかの :
    とても懐かしいです、この雑誌は色々な漫画家の自伝を連続して掲載そいていたように思います(ちばてつや、ちばあきお、横山光輝、手塚治虫先生、等々、ETC) この作品はとても印象があります、望月先生に引き込まれたのはダンダラ新撰組で、それから貪るように先生の作品を読みました、、先生の作品は躍動的で読んでいてどんどん引き込まれ、読後感は爽快で、、そんな作品ばかりで、、そんな最中にこの作本を読んで、感動したのをよく覚えております。この感想文にも出てきますがお母様が箪笥を嬉しそうに触っておられるシーンは忘れようとそても忘れる事はできません、ちっちさん素敵な文ありがとうございます!
  • Motoyan :
    大変、懐かしい作品です。当時はまだ学生でしたが、
    コミックバンバンで新ワイルドセブンを連載
    されてた頃に初めて読んで感化されました。
    俺も自分で稼ぐようになったら、母ちゃんに
    何か買ってあげたいと考え、初ボーナスで、
    冷蔵庫を買ってあげたのを思い出しました。
  • うの :
     昨年、母が亡くなり、
    最近、たまたま何故か ’2008年 ROSE Ⅴ(ロゼ・サンク)(ぶんか社)単行本初収録’ を再び読み返していて、母には何もしきれなかった私は、涙が出てしまいました。
     そしてその作品についてのこの頁には驚いてしまい、つい書き込んでしまいました。
  • helo :
    秘密探偵JAからムサシ。そしてワイルド7とずーとリアルタイムで読み続けてしまいました。(((笑;;
    〝何がそうさせたか〟と考えてみると望月先生が〝ストーリーテーラー〟であることが答えであるように思います。
    >私はゲレンデにシュプール描きたい、慣らされた雪の上より新雪蹴散らして滑る!“未知”、俺が最初!ってのがいいんだなァ。へそ曲がりだから、ひとの跡とか2番手って嫌なんです。
     ご自身が語られているようにそこが魅力です!。原作者でもある漫画家は少ないです。これからも未だまだグランドで倒れる迄「望月ワールド」を魅せて下さい!!。
  • まつべー :
    先ほど、先生の近況を知りネット検索でここにたどり着きました。
    「ワイルド7」「ケネディ騎士団」「快傑アイアン」「ジャパッシュ」新撰組を取り上げたいくつかの作品、そして少年ジャンプの読み切りで描かれていた自伝が好きだったんですが、タイトルが思い出せずでした。
    少年ジャンプの愛読者賞(第1回)の特別号にも載っていたと思うので探し出せば良かったのですが。
    この作品はリアルタイムで読むことができたのが幸いです。
    ここで垣間見ることができたコマのいくつかで終わりのコマまで作品を思い出すことができました。

    望月三起也さんは、この国が誇るマンガという文化を担ってきた、漫画家の強烈な個性のひとりだと思っています。
    納得される作品をまたひとつ産んでいただければと思います。
    それをまた手に取り読みふけりたいと願っています。
  • ジンライケン :
    ご冥福をお祈りします。

    ファンでした

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